日本紀略・寛平六年894九月「二十七日、大宰府飛驛使言上、新羅賊二百余人打煞、仍って諸国に仰せて軍士警護を停止せしむ」
平安時代も貴族は安逸に流れていたのではなく武備を備えておりしかも強かったのです。
天皇は宇多天皇。是は「寛平の入寇」と呼ばれているものです。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85%E3%81%AE%E5%85%A5%E5%AF%87#%E5%AF%9B%E5%B9%B3%E3%81%AE%E9%9F%93%E5%AF%87
新羅は大化の改新から長徳三年(997)の長徳の入寇まで無数の入寇を繰り返してきました。日本は島国で平安時代も平和であったなどと間違った歴史を教えられてきました。