・今日10月24日は宇多上皇が東寺の益信に受戒し出家された日です。
宇多上皇は昌泰2年(899年)10月24日には東寺の益信のもとで受戒し出家された後、仁和寺に入って最初の「法皇」となられ「寛平法皇」を名乗られました。密教辞典によると「益信は廣澤流祖・円城寺僧正(尚待藤原淑子の病気を祈祷で治したため淑子の東山山荘を円城寺とした)なり。石清水八幡開基の行教の実弟。源仁から宗叡相伝の法全阿闍梨付属の聖教と般若三蔵所伝の雑華を付嘱された。寛平八年(896)には男山八幡で最初の検校となり東寺の大師直筆八幡大菩薩を男山八幡の御神体として奉安、昌泰2年(899)宇多法皇を仁和寺で落飾、延喜元年(901)宇多法皇に東寺で伝法灌頂を授ける(注1)。益信の付法はこの宇多天皇をはじめ、神日(白雲寺開山)、円偆(素光寺開山)、房審、聖珠、神昭、善裕、峰如、運昌、玄海、会日、禎果、貞保、貞縦、観琳、安真の17傑である。益信は世寿80歳で延喜6年3月7日(906年4月8日)に円城寺に御入滅。400年後に後宇多法王自ら本覚大師号を請願。・・」
(注1)仁和寺御伝・日本紀略等に
「昌泰二年己未十月二十四日、御出家。御年三十三.御法名空理、後改め金剛覚。御戒師園城寺益信僧正(于時大僧都)。御剃髪叡南法師。同日月仁和寺始めて布薩を置かる。益信を以て戒師と為し、観賢を以て維那と為す。」