第六課 人情に殉じ、人情を完うす
ある人が、あるところへ後妻を世話しました。ところが、その媒酌人なこうどのところへ、後妻に世話した女が泣き込んで来ました。
その媒酌人はなかなか苦労をして、人情にも道理にも通じたところがありました。その場で次のような対話が交わされました。
「まあ、そう泣いてばかりいないで、理由わけを話しなさい。何かね、やっぱり御主人との仲がしっくり行かないかね」
「 . . . 本文を読む
第五課 たしなみ
大雪が降りました。朝、眼を覚ました秀吉は考えました。「いかに名人、利休でも、こんなときは油断していてまごつくだろう。一つメンタルテストに出かけてやろう」と。
「茶というものは贅沢や遊びにやるものではない。人間同志、互いに持ちまえの和親敬愛の情を表すために使う方便だ。そしてその作法というものは、身を慎しみ心を磨く修業である。人生のあらゆる態度を、この作法の中に切り縮めて研 . . . 本文を読む
第四課 苦労について
料理通の話を聴きますと、「魚肉などで味の深い個所は、魚が生存中、よく使った体の部分にある。例えば鰭ひれの附根の肉みだとか、尾の附根の部分とかである。素人は知らないから、そういうところを残しがちだが、実は勿体ないことである」と言いました。
なるほど、この事は人間についても言われます。苦労をしない人よりは、苦労をした人の方が人間味が深いのであります。いわゆる、お坊っち . . . 本文を読む
南方熊楠はあの世があるのは当然といっています。「・・・死んでも六道に迷うは芝居が混雑して手拭を落としたるを尋ね周り、役者が楽屋で役割の当不当を論じ、給金や花に葛藤を生ずるほどのことで・・・」 . . . 本文を読む
第三課 飽くまで生き抜く力
飽くまで生き抜く力と言っても、朝から晩まで肩肘張って力んでいることではありません。相手や、場合によってそうしなければならないこともあるでしょうが、始終そうやっていては誰だって疲労くたびれてしまいます。
人間は一面、ゴムの紐と同じようなものであって、あまり長く緊張し続けるとのびてしまいます。
若い時、かなり激しい気性の人で、活動し続けて来たのが、老後にな . . . 本文を読む
50年ほど前のことです。知人が徒歩で四国を88日かかり周って胸の病が癒えたということがありました。
私たち夫婦も話し合って真似しようということになりました。私は足が弱かったのでタクシーにしました。昭和38年のことでした。
そのころは巡拝タクシーというのはなく我々がその第一号だったとあとでタクシー会社でいわれました。
それでも2つのお蔭をいただきました。
一つ目は、私が長年水虫で医薬、売薬、電気 . . . 本文を読む
第二課 誰でも持つたから
頭は考えて分別し、
胸は感情を披瀝する。
腹は蔵おさめて貯え、
手足は動いて実地に当ってみる。
頭でいけなければ胸で、
胸でいけなければ腹で、
腹でいけなければ手足で、
そして全体として、完全な協同作業チームワークが取れています。
私たちの唯一の財産、最初にして最後の財産=身体には、これだけの機能はたらきが備わっています。およそ世の中に、これだけの . . . 本文を読む
下
恁かくて、數時間すうじかんを經へたりし後のち、身邊あたりの人聲ひとごゑの騷さわがしきに、旅僧たびそうは夢ゆめ破やぶられて、唯と見みれば變かはり易やすき秋あきの空そらの、何時いつしか一面いちめん掻曇かきくもりて、暗澹あんたんたる雲くもの形かたちの、凄すさまじき飛天夜叉ひてんやしやの如ごときが縱横無盡じうわうむじんに馳はせ※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)まはるは、暴風雨あらしの軍い . . . 本文を読む
仏教人生読本 岡本かの子
この書を世に贈るについての言葉
二十年近くも、私が心に感じ身に行って来た経験をふりかえり、また、批判してみたことを偽りなく書き集めたのが、この書物となりました。私という一人の人間が、真に感じたり想ったりしたことは、同じ人間である世のみな様に語って真実同感して頂けることと信じます。また私の信仰する仏教は、飽くまでも人間に対して親切で怜悧れいりでありますから、仏教の信 . . . 本文を読む
旅僧 泉鏡花 上
去いにし年とし秋あきのはじめ、汽船きせん加能丸かのうまるの百餘ひやくよの乘客じようかくを搭載たふさいして、加州かしう金石かないはに向むかひて、越前ゑちぜん敦賀港つるがかうを發はつするや、一天いつてん麗朗うらゝかに微風びふう船首せんしゆを撫なでて、海路かいろの平穩へいをんを極きはめたるにも關かゝはらず、乘客じようかくの面上めんじやうに一片いつぺん暗愁あんしうの雲くもは懸かゝ . . . 本文を読む
世界新秩序の原理 西田幾多郎
世界はそれぞれの時代にそれぞれの課題を有し、その解決を求めて、時代から時代へと動いて行く。ヨウロッパで云えば、十八世紀は個人的自覚の時代、所謂個人主義自由主義の時代であった。十八世紀に於ては、未だ一つの歴史的世界に於ての国家と国家との対立と云うまでに至らなかったのである。大まかに云えば、イギリスが海を支配し、フランスが陸を支配したとも云い得るであろう . . . 本文を読む