今日、建久6年4月17日は重源が東大寺造営の為伊勢神宮で大般若経転読供養を行った日です。解脱上人貞慶も参加しています。東大寺宗徒参詣伊勢神宮記 . . . 本文を読む
「日本書紀・巻二十八・天武四年675」「夏四月庚寅(十七日)「諸国に詔して曰はく、今より以後、諸の漁猟(すなどりかりする)者を制(いさ)めて、檻穽(ししあな)を造り、機槍(ふみはなち)等の類を施(お)くこと莫。亦四月の朔以後、九月三十日より以前に、比満沙伎理(ひみさきり=小魚まで獲る仕掛け)・梁を置くこと莫。且牛・馬・犬・猿・鶏の宍を食ふこと莫。以外は禁の例にあらず。若し犯すこと有らば罪せむ、との . . . 本文を読む
今日4月17日は、肉食が禁止され、又後には施薬院が設置された日です。こういう歴史的な隠徳の積み重ねがあってやっと今日の日本があるのです。今日4月17日は朝廷が初めて肉食・狩猟を禁じ犯す者は罪に問うとした日です。 日本書紀、巻二十八に、「天武四年、夏四月庚寅(675年4月17日)、詔諸國曰、自今以後、制諸漁獵者、莫造檻穽及施機槍等之類。亦、四月朔以後九月卅日以前、莫置比彌沙伎理・梁。且、莫食牛馬犬猨 . . . 本文を読む
今日は智泉が大師請来とされる大随求曼荼羅を書写された日です。大随求曼荼羅の奥書に「惣廿七張 弘仁十二年四月十六日記 僧智泉」
重要美術品|大隨求曼荼羅諸尊等図像|奈良国立博物館
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観音霊験記真鈔16/33
西國十五番山州(山城国)京今熊野十一面像。御身長一尺五寸餘。
釈して云く、此の十一面の像の事、前第八番目に解すと雖も未盡なり。重ねて曲しく釈せば、第一頂上佛は螺髪の形なり。餘の十一面は菩薩形なり。前の三面は慈悲寂静の貌。左三面は
忿怒の形。是は悪を作す者を見て対治せんとし玉ふ形なり。右の三面は牙を上に現じ善根を修する者を讃ふ形なり。後ろの一面は善悪交雑して衆生を見て . . . 本文を読む
靖国社頭掲示令和二年十一月に
「 絶筆
陸軍大尉 猪瀬徳命 昭和二十年四月十六日 フィリピンにて戦死
栃木県宇都宮市出身 二十六歳
決戦場進發の前夜一筆仕る
一、帝国決戦正面軍の一員たる 実に男子の本懐 万死以て任務を完遂せんことを期す。
一、父母様御安堵御長生の事願い上ぐ
於比島 猪瀬徳」 . . . 本文を読む
虎関師錬は弘安元年4月16日(1278年5月9日) 生まれで、興国7年/貞和2年7月24日(1346年8月11日))に69歳で遷化されています。臨済宗の僧。諡号は本覚国師。仁和寺・醍醐寺で密教も学ばれています。当時は八宗兼学が当然でもともと宗派色はなかったのですから当然です。建長寺の一山一寧に本朝の名僧の事績について尋ねられ、満足に応えられなかったことをきっかけとして、元亨2年(1322年)に『元 . . . 本文を読む
今日4月15日は釈 雲照師御生誕の日です。釈 雲照師(文政10年3月20日(1827年4月15日) から明治42年(1909年)4月13日)は、幕末から明治にかけて活躍した真言僧です。俗姓は渡辺氏、出雲国の出身。日本人初の上座部仏教徒である釈興然は甥です。1844年(弘化元年)高野山で修学、江戸時代後期に戒律復興運動を行った慈雲の影響を受け、明治維新後の1884年(明治17年)十善会を発足し戒律主 . . . 本文を読む
今日はが聖徳太子が勝鬘經を講ぜられた日
上宮聖徳法王帝説に「戊午年(598)四月十五日に、少治田天皇(推古天皇)、上宮王(聖徳太子)に請ひて、勝鬘經を講ぜしむ。其の儀は、僧の如きなり。諸王公主及臣連公民 信受して嘉ばざる無し。三箇日の内に、講説訖はるなり。天皇、聖王に播磨國揖保郡佐勢地五十万代を布施す。聖王即ち此の地を以て法隆寺の地と爲すなり」
勝鬘經義疏の書き出しです。
「夫れ勝鬘とは本来 . . . 本文を読む
今日寛元四年四月十五日は御嵯峨天皇が孔雀経法で霊験を現した道深法親王に御宸筆を出された日。以下「宸翰英華」等によります。御嵯峨天皇在位四年目の寛元三年は大歳・害気・太陰の三神の合する三合の厄年に當り年初より客星・彗星の出現が相次ぎ地震も頻発した。朝廷に於いては御謹慎深く、公卿を召して善政を評定せしめられるとともに歴代天皇の陵に宸筆の告文を奉じて祖霊の冥助を仰ぎ、諸寺に仰せて祈祷を行わしめた。後堀河 . . . 本文を読む
金剛般若波羅蜜經(全巻書き下し) 姚秦天竺三藏鳩摩羅什譯 ・金剛般若経の題意大師は「金剛般若波羅蜜經開題」で「(金剛般若波羅蜜經の梵字名である)バザラセイジキャハラジニャハラミタソタランの十三字は四名を詮す。筏日羅の二字は金剛と翻じ、セイジキャの三字は能斷と名け、ハラジニャの二字は智惠と名け、ハラミタの四字は已究竟と呼び、ソタランは貫線と號く。即ち此の四名を合束し一會の經目と為す。・・(唐の訳では . . . 本文を読む
建保六年1218,4月15日、 後鳥羽上皇は成賢に普賢延命法を修させました。この後、承久元年1219年、源実朝は公暁に殺害され承久3年(1221年)には後鳥羽上皇が承久の変を起こされます。成賢は東寺長者、醍醐寺座主。関東鎌倉調伏のため十五壇の修法を行なっています。 . . . 本文を読む
観音霊験記真鈔15/33
西國十四番江州三井寺如意輪像、御身長五尺二寸(157.56cm)の立像。釈して云く、従来第一番(那智山青岸渡寺)と七番目(東光山岡寺)に荒増如意輪の義を釋すと云へども、未盡なり。寶炬陀羅尼經の説には、如意珠に三つあり、一には威光と名け、二には釈迦毗楞伽と名け、三には寶精と名く。第一に威光寶とは大海の底、金輪際の下にあり。如来の正法滅しをはり佛舎利没して金剛際に至り變じて . . . 本文を読む
山岡鉄舟の名言です。「金を積んでもって子孫に遺す。子孫いまだ必ずしも守らず。書を積んでもって子孫に遺す。子孫いまだ必ずしも読まず。陰徳を冥々の中に積むにしかず。もって子孫長久の計となす。」資産何兆円という富豪の話がよく出ます。しかしよく考えるとこれらはたいしたことはない金額です。お金自他は何の意味もありません。何れいつかはなくなるものです。それより、善行をさせていただくチャンスに恵まれる方がいくら . . . 本文を読む