福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

地蔵菩薩三国霊験記 10/14巻の8/10

2024-10-15 | 先祖供養
地蔵菩薩三国霊験記 10/14巻の8/10 八、神女尸を蔵し給ふ事 大和國天巌戸と申す所(.奈良県宇陀市室生、天の岩戸神社 (室生龍穴神社摂社))に神女侍りき。神道にみやつかい深く敬ひ、水をあげ鈴を振り、をどりはねてそれともしらぬあだごとを歌ひ、神説と号して雨の降り、風の吹くをも神の告げなんと申して人を誑惑し世をはたる計(はかりごと)をしけるままに心ならひあしくなりて、功徳利益と云事には耳をそ . . . 本文を読む
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今日は高野山遍照光院・蓮華三昧院住職頼慶遷化の日です

2024-10-14 | 法話
慶長15年1610、10月14日は高野山遍照光院・蓮華三昧院住職頼慶遷化(76歳)の日です。以下密教辞典に依ります。頼慶は紀伊有田の人。高野山に登り蓮華三昧院住職。1601慶長6年阿波で安慶問答・浄土宗僧が浄土宗以外では得道せずと主張するのを論破。慶長15年勧学となり諸山を指導するが反発をかい伊豆走湯山に隠棲。慶長15年1610、10月14日遷化。 . . . 本文を読む
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地蔵菩薩三国霊験記 10/14巻の7/10

2024-10-14 | 先祖供養
地蔵菩薩三国霊験記 10/14巻の7/10 七、田に水を入れ給ふ事 筑後國八講と云所にいやしき田夫あり。旧業の拙きにより貧道にをちて朝夕飢寒につめられるのみならず、かかる下賤に生れて明くれば公事に逼られ暮れには生産に哀れむ。終わりの果てには地獄に落ちて世世生生思出もなからん事をくやしく思ひけるほどに、少しの隙あらば堂塔へ参りて自らの引接を祈ける。中にも地蔵菩薩を信じ奉りとかくの営みをめぐらして . . . 本文を読む
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良慶が熊野三山・新熊野検校となった日

2024-10-14 | 法話
「尊卑分脈」(観応元年1350十月十四日)「北朝、良慶(注1)をして熊野三山幷に新熊野検校に補す。」北朝方が崇光天皇。(南朝方が後村上天皇)。室町幕府は足利尊氏。(注2)(注1)良慶は一条家経の息。園城寺、大僧正、三井寺長吏、三山検校、新熊野検校、常住院、延文五年八月十二日死去。七十歳。(注2)この直後、観応の擾乱があり(正平5年/観応元年10月26日から正平7年(1352)2月26日)将軍足利尊 . . . 本文を読む
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今日は第五十九代宇多天皇御出家の日

2024-10-14 | 法話
「大鏡」「昌泰三年己末十月十四日、(第五十九代宇多天皇)出家せさせたまふ。御名、金剛覚と申しき。承平元年七月十九日、うせさせたまひぬ。」 「本朝皇胤紹運録」「昌泰三年十月十四日(第五十九代宇多天皇)出家。三十三。法諱空理。御灌頂の時、之を金剛覚と改む。御戒師益信僧都」)」 . . . 本文を読む
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今日は大師が藤原葛野麻呂に代わり福州観察使に上陸を求める書を出された日です

2024-10-13 | お大師様のお言葉
今日(延暦23年80410月13日)は大師が藤原葛野麻呂に代わり福州観察使に上陸を求める書を出された日です.高野大師御高傳に「延暦二十三年十月十三日、大師賀能の為に書を作し衝州観察使いに云う・・」とあり、以下の文があります。「大使、福州ノ観察使ニ与フル為ノ書」賀能啓ス。高山澹黙ナレドモ、禽獣労ヲ告ゲズシテ投リ帰キ、深水言ハザレドモ、魚龍倦ムコトヲ憚ラズシテ逐ヒ赴ク。故ニ能ク西羌、険シキニ梯シテ垂衣 . . . 本文を読む
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今日は壱岐に蒙古軍が上陸し凄惨の限りを尽くした日

2024-10-13 | 先祖供養
  「一代要記」に(文永十一年1274十月)「同十三日、異國軍兵壹岐島に亂入す、同十四日、彼の島の守護代荘官以下悉く打取らる云々」 (守護平景隆は、樋詰城から、家来100余騎で応戦しましたがあっという間に殲滅されています。壱岐では蒙古軍は老人、子供、男はすべて切り殺し、赤ん坊は股裂き、妊婦はお腹を切り裂き、お腹の中の胎児を殺し、女は集めて乱暴、暴行の後で、手に穴を開けて綱を通して、数 . . . 本文を読む
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今日は貞観地震後に清和天皇が「責めは予に在る」とされ庶民を救済された日

2024-10-13 | 先祖供養
  三代実録 / 貞観十一年(869)十月十三日丁酉条 (発生年:869 [貞観11年] / 発生地域:陸奥 / 災害種別:地震・火山 地震 海の災害 高潮・津波 被害 家屋被害 被害 その他の建造物被害) 十三日丁酉 (清和天皇)詔曰 (中略) 如聞 陸奥国境 地震尤も甚だし 或は海水暴溢而して患を為す 或は城宇頽圧して殃を致す 百姓何ぞ辜って 罹斯る禍毒に 憮然として媿はじ懼る . . . 本文を読む
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今日は大師が宮中で息災法を行じられた日です。

2024-10-13 | お大師様のお言葉
  類聚国史に「淳和天皇弘仁十四年823十月癸巳十三日、皇后院に於いて大僧都空海法師に息災の法を行わせしむ。三日三夜なり。」 淳和天皇后・正子内親王は、第52代嵯峨天皇の皇女で弘仁14年(823年)頃、叔父の淳和天皇に入内し3人の皇子を産まれました。大師が息災の法を修せられたのはこの頃と思われます。 . . . 本文を読む
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地蔵菩薩三国霊験記 10/14巻の6/10

2024-10-13 | 先祖供養
地蔵菩薩三国霊験記 10/14巻の6/10 六、中夭を助給ふ事 常州より北の方に金山あり。其の山の金を掘る男あり。家はをのずから豊にして一子もなかりけり。女房は慳貪愚痴にて後生と云ことをしらず。夫は是をすすめければ腹立しけるほどには思ひけれども言にいはざりければ、うとき人に向ふに似たり。情けをしらねば由ある物語なんどをも語りて心をなぐさむべき由もなし。夫は深く因果をつつしみをそれけるほどに、法 . . . 本文を読む
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今日13日は和歌山興国寺開山忌です

2024-10-13 | おすすめ情報
今日は和歌山興国寺開山忌です   興国寺の建立は源実朝の側近葛山五郎景倫が出家し願性と名乗り、由良の地に真言宗「西方寺」を建立したのが始まりとされますが、興国寺そのものが通称「開山(法燈国師心地覚心のこと)」と呼ばれ親しまれています。心地覚心は、高野山金剛三昧院で退耕行勇禅師に、永平寺で道元禅師や東福寺開山聖一国師などにつき、真言密教・禅の奥義を極めましたがその後入宋六年、杭州護国寺 . . . 本文を読む
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地蔵菩薩三国霊験記 10/14巻の5/10

2024-10-12 | 先祖供養
地蔵菩薩三国霊験記 10/14巻の5/10 五、恵心僧都妹蘇りたまふ事(沙石集巻第五話「地蔵、人を看病し給ふ事」にあり) 山門恵心僧都妹安養の尼(953-1034。 平安時代中期の尼僧。願西尼。源信の妹。天台宗。吉野山にすんで日夜念仏に専念し,毎月8日に地蔵講をおこなった。西にむかって端座したまま入滅したという。長元7年8月25日死去。82歳。安養尼ともいう。)、絶入し玉ふ時、修学院僧正勝算( . . . 本文を読む
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ハイドパーク覚書(原爆は日本人を殺すため)

2024-10-12 | れわれはどこから来たのか われわれは何者
ハイドパーク覚書(原爆は日本人を殺すため)   「TUBE ALLOYS Aide-memoire of conversation between the President and the Prime Minister at Hyde Park, September of 18, 1944. The suggestion that the world should be i . . . 本文を読む
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地蔵菩薩三国霊験記 10/14巻の4/10

2024-10-11 | 先祖供養
地蔵菩薩三国霊験記 10/14巻の4/10 四、遁世者耕作止事 或遁世の僧ずいぶんに後世の心ありて念佛の行者なる者あり。時料の為に耕作なんどせさする事さすがよしなく罪深く思ひけん。夜の夢に或山の邊に火車あり、是を獅子にかく獄卒是をやる(此辺の記述意味不明)。火焔おびただし。見るにおそろしなれと云計りなし。獄卒が云様、是はかたきの有るを責むべきなりといふ。何とも返答にもおよばず恐れ入りてすぐ。其 . . . 本文を読む
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地蔵菩薩三国霊験記 10/14巻の3/10

2024-10-10 | 先祖供養
地蔵菩薩三国霊験記 10/14巻の3/10 三、殺生の人を助給ふ事 駿河の國富士川の上りに殺生を業とせる男、人のすすめによりて小地蔵を一躰持ち華香時々まひらせて家にあがめ奉りけり。或時夢に鬼にとられてゆきけるを、此の地蔵こひ給けるに、鬼これは殺生の業によりて地獄へゆくべき者也と申すに地蔵是ちょり後はとどむべきよしをおしふべし、まげてゆるせとて、具して皈り給ふと見て、一両月が程は殺生とめたりける . . . 本文を読む
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