さすがに年度始めは忙しいですね。
うかうかしていたら、第10回の開催日間近なのに告知もテーマ設定もし忘れておりました。
さっそく以下のとおり第10回てつがくカフェ@ふくしま開催をご案内させていただきます。
テーマ:「切実な〈私〉と〈公〉、どちらを優先すべきか?」
このテーマについては補足説明が必要です。
この震災・原発事故をめぐっては、少なからぬ人々が職務=〈公〉を優先すべきか、それともそれを放棄してでも家族=〈私〉を助けるべきかという公/私の間で心引き裂かれる経験を強いられました。
しかし、いずれを選択したとしてもその当人には〈負い目〉が残ったのではないでしょうか。
いずれかの選択も正解とは言い切れないところに、この問題の深刻さがあります。
たとえば、原発事故直後、南相馬市のある病院ではスタッフのほとんどが避難し、わずかに病院に残った看護士だけで事故直後の病院機能を維持しなければならなかったそうです。
ある報道番組[※]では、その病院に勤務する看護師たちが患者を守るために病院に留まるか、それともわが子を放射線から守るために避難するか、その選択に引き裂かれる葛藤が特集されていました。
そのなかに、避難を決断したある看護師が職務を放棄した〈負い目〉からその地へ戻ることや、もはや看護師という職業を続けることはできないという覚悟で避難したと語る場面があります。
そこには〈公〉より〈私〉を優先したことへの〈負い目〉、あるいは〈罪悪感〉に引き裂かれる姿がありました。
(※テレビ朝日・報道STATION「特集・17人の看護師の思い」
http://www.tv-asahi.co.jp/dap/bangumi/hst/feature/detail.php?news_id=21673&y_m=11-09より動画を見ることができます。)
彼/彼女たちだけではありません。
未曽有の大震災・原発事故という出来事のさなか、自らの〈公〉的な立場と〈私〉的な立場のあいだで引き裂かれる苦悩は、多くの人々に生じた問題ではなかったでしょうか。
では、なぜ私たちは公/私の選択によって、〈負い目〉を抱くもの/抱かないものという分断が生じてしまうのでしょうか。
そもそも、そこで語られている公/私とは何なのでしょうか。
実は、このテーマは昨年、てつがくカフェ@せんだいとせんだいメディアテークが共催した「第5回考えるテーブル」で扱ったものです。
この回のテーマ設定とファシリテーターを渡部が担当させていただいたのですが、ファシリテートや問いの設定に問題があったせいか、うまく対話がかみ合わずに終わったという思いだけが残りました。
今回のてつがくカフェ@ふくしまでは、その反省をもとに再度このテーマを設定させていただきます。
なお、当日は吉本隆明が朝日新聞に寄稿した、「絶えずいつでも考えています」(2011年3月20日朝日新聞掲載)をもとに対話を進めたいと計画しております。
先のテレビ朝日・報道ステーションの動画と併せて事前にご覧いただければ幸いです(もちろん、ご覧にならなくても参加可能です)。
日時 : 2012年5月19日 (土) 開催時間 16:00~18:00
場 所:A・O・Z(アオウゼ)小活動室1(MAXふくしま4F)
※ 地図・駐車場等のご利用はこちらのURLをご覧下さい。
⇒http://ticket-search.pia.jp/pia/venue/venue_access_map.do?venueCd=FAOZ
費 用 : ドリンク代 (珈琲100円)
事前申し込み : 不要(直接会場にお越しください)
ご不明な点は下記の問い合わせ先までご連絡下さい。
問い合わせ先 : fukushimacafe@mail.goo.ne.jp
お茶を飲みながら聞いているだけでもけっこうです。
飲まずに聞いているだけでもけっこうです。
通りすがりに一言発して立ち去るのもけっこうです。
わかりきっているようで実はよくわからないことがたくさんあります。
ぜひみんなで額を寄せあい語りあってみましょう。
≪はじめて哲学カフェに参加される方へ≫
てつがくカフェって何?てつがくカフェ@ふくしまって何?⇒こちら
てつがくカフェの進め方については⇒こちら
てつがくカフェ@ふくしま世話人
うかうかしていたら、第10回の開催日間近なのに告知もテーマ設定もし忘れておりました。
さっそく以下のとおり第10回てつがくカフェ@ふくしま開催をご案内させていただきます。
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このテーマについては補足説明が必要です。
この震災・原発事故をめぐっては、少なからぬ人々が職務=〈公〉を優先すべきか、それともそれを放棄してでも家族=〈私〉を助けるべきかという公/私の間で心引き裂かれる経験を強いられました。
しかし、いずれを選択したとしてもその当人には〈負い目〉が残ったのではないでしょうか。
いずれかの選択も正解とは言い切れないところに、この問題の深刻さがあります。
たとえば、原発事故直後、南相馬市のある病院ではスタッフのほとんどが避難し、わずかに病院に残った看護士だけで事故直後の病院機能を維持しなければならなかったそうです。
ある報道番組[※]では、その病院に勤務する看護師たちが患者を守るために病院に留まるか、それともわが子を放射線から守るために避難するか、その選択に引き裂かれる葛藤が特集されていました。
そのなかに、避難を決断したある看護師が職務を放棄した〈負い目〉からその地へ戻ることや、もはや看護師という職業を続けることはできないという覚悟で避難したと語る場面があります。
そこには〈公〉より〈私〉を優先したことへの〈負い目〉、あるいは〈罪悪感〉に引き裂かれる姿がありました。
(※テレビ朝日・報道STATION「特集・17人の看護師の思い」
http://www.tv-asahi.co.jp/dap/bangumi/hst/feature/detail.php?news_id=21673&y_m=11-09より動画を見ることができます。)
彼/彼女たちだけではありません。
未曽有の大震災・原発事故という出来事のさなか、自らの〈公〉的な立場と〈私〉的な立場のあいだで引き裂かれる苦悩は、多くの人々に生じた問題ではなかったでしょうか。
では、なぜ私たちは公/私の選択によって、〈負い目〉を抱くもの/抱かないものという分断が生じてしまうのでしょうか。
そもそも、そこで語られている公/私とは何なのでしょうか。
実は、このテーマは昨年、てつがくカフェ@せんだいとせんだいメディアテークが共催した「第5回考えるテーブル」で扱ったものです。
この回のテーマ設定とファシリテーターを渡部が担当させていただいたのですが、ファシリテートや問いの設定に問題があったせいか、うまく対話がかみ合わずに終わったという思いだけが残りました。
今回のてつがくカフェ@ふくしまでは、その反省をもとに再度このテーマを設定させていただきます。
なお、当日は吉本隆明が朝日新聞に寄稿した、「絶えずいつでも考えています」(2011年3月20日朝日新聞掲載)をもとに対話を進めたいと計画しております。
先のテレビ朝日・報道ステーションの動画と併せて事前にご覧いただければ幸いです(もちろん、ご覧にならなくても参加可能です)。
日時 : 2012年5月19日 (土) 開催時間 16:00~18:00
場 所:A・O・Z(アオウゼ)小活動室1(MAXふくしま4F)
※ 地図・駐車場等のご利用はこちらのURLをご覧下さい。
⇒http://ticket-search.pia.jp/pia/venue/venue_access_map.do?venueCd=FAOZ
費 用 : ドリンク代 (珈琲100円)
事前申し込み : 不要(直接会場にお越しください)
ご不明な点は下記の問い合わせ先までご連絡下さい。
問い合わせ先 : fukushimacafe@mail.goo.ne.jp
お茶を飲みながら聞いているだけでもけっこうです。
飲まずに聞いているだけでもけっこうです。
通りすがりに一言発して立ち去るのもけっこうです。
わかりきっているようで実はよくわからないことがたくさんあります。
ぜひみんなで額を寄せあい語りあってみましょう。
≪はじめて哲学カフェに参加される方へ≫
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