5月のてつカフェではLGBTの問題を取り上げよう、
ということは数ヶ月前のアフタートークの話し合いで決まっていました。
そこから、では具体的なテーマは何にしようかと考え始めたのですが、
意外と思いつきません。
というのもてつカフェの参加者のなかに当事者の方がいて、
実際に問題点を指摘したり問いを発してくださればいいのですが、
おそらくそういう方がいないか、
いたとしても特に具体的な声を上げてはくれなかったので、
非当事者(こんな言い方をすること自体に問題があるような気がしますが)
である私には適切な問いが思いつかなかったのです。
しかも、次回のてつカフェにLGBTの方が参加してきてくださるとうれしいですが、
ひょっとすると当事者が誰ひとりいない中で話し合わなければいけない、
ということになる可能性もけっこう高い気がして、
当事者がいなかったとしても話し合えるような、
あるいは、話し合って意義のあるような問いというのがよくわからなかったのです。
そこで、ある方に上記のような悩みをそのままぶつけてアドバイスいただいたのが、
今回のテーマ「同性婚を認めるべきか?」です。
てつがくカフェ@ふくしま2019.5.18.
【テーマ】「同性婚を認めるべきか?」
【日 時】2019年5月18日(土)
16:00~18:00
【場 所】福島市市民活動サポートセンター A1会議室
チェンバおおまち3階 (福島市大町4-15)
【参加費】無料 (飲み物も無料)
【事前申し込み】不要 (直接会場にお越しください)
【問い合わせ先】onohara@educ.fukushima-u.ac.jp
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その方からいただいたメールの中身を少し引用しておきましょう。
「「てつがくカフェ@ふくしま」でLGBTについて取り上げて下さるとのこと、とても嬉しいです。
また「当事者がいてもいなくても、LGBTについて意義ある話し合いができるテーマとは何か」という、
これ自体がたいへん素敵な問いを頂き有難うございます。
レクチャー形式ではない、対等な語り合いで問いを深めていける、というのがポイントですよね。
真っ先に思いついた問いは、ありがちなテーマではありますが「同性婚を認めるべきか」です。
現在、同性婚(婚姻の平等)を求める全国訴訟も起こっており、タイムリーなテーマだと思います。
おそらく、てつカフェにいらっしゃる方はリベラルな方が多いので、
基本的には「認めるべき」という方向で進むのではと予想されるのですが、
実は一筋縄ではない問題もはらんでいます。
現在の日本では法的にも社会的にも、「結婚」に大きな特権と責任を与えています。
そこを変えずに「同性婚」を認めるというのは、実はそうした特権・責任の対象を広げるだけであり、
結局は(シングルで生きたい人、3人以上で愛し合うポリアノミー、友人同士で暮らしたい人など)
新たな「排除」を生むだけではないか、という議論が生じます。
これはもちろん、私が言っているだけではなく、
「反婚」の思想としてジェンダー/セクシュアリティ研究で(日本でも、海外でも)常に議論される点です。
では誰も排除しない形とは? となると、結局は結婚制度そのものを解体するしかないのか、
そもそも結婚や家族とは何なのか、と問いが深まります。
新たな排除を生んでも仕方がない、今より良いだろう、と「同性婚」を認めるのは、
なぜ同性愛者の権利がシングルで生きたい人の権利より優先されるのか、という議論につながります。」
どうです、深いでしょ。
というわけで「同性婚を認めるべきか?」という問いを採択させていただきましたが、
同性婚のことだけ考えていればいいわけではない、
まさにダイバーシティそのものが問われるテーマなわけです。
次回は同性婚を切り口として私たちの多様性を見つめ直してみようと思います。
「てつがくカフェ@ふくしま」は、
異性愛であれ同性愛であれその他どのような嗜好をお持ちであろうと、
誰でも気軽に対等に、安心して何でも話し合える場です。
初めての方もお気軽にご参加ください。
ということは数ヶ月前のアフタートークの話し合いで決まっていました。
そこから、では具体的なテーマは何にしようかと考え始めたのですが、
意外と思いつきません。
というのもてつカフェの参加者のなかに当事者の方がいて、
実際に問題点を指摘したり問いを発してくださればいいのですが、
おそらくそういう方がいないか、
いたとしても特に具体的な声を上げてはくれなかったので、
非当事者(こんな言い方をすること自体に問題があるような気がしますが)
である私には適切な問いが思いつかなかったのです。
しかも、次回のてつカフェにLGBTの方が参加してきてくださるとうれしいですが、
ひょっとすると当事者が誰ひとりいない中で話し合わなければいけない、
ということになる可能性もけっこう高い気がして、
当事者がいなかったとしても話し合えるような、
あるいは、話し合って意義のあるような問いというのがよくわからなかったのです。
そこで、ある方に上記のような悩みをそのままぶつけてアドバイスいただいたのが、
今回のテーマ「同性婚を認めるべきか?」です。
てつがくカフェ@ふくしま2019.5.18.
【テーマ】「同性婚を認めるべきか?」
【日 時】2019年5月18日(土)
16:00~18:00
【場 所】福島市市民活動サポートセンター A1会議室
チェンバおおまち3階 (福島市大町4-15)
【参加費】無料 (飲み物も無料)
【事前申し込み】不要 (直接会場にお越しください)
【問い合わせ先】onohara@educ.fukushima-u.ac.jp
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その方からいただいたメールの中身を少し引用しておきましょう。
「「てつがくカフェ@ふくしま」でLGBTについて取り上げて下さるとのこと、とても嬉しいです。
また「当事者がいてもいなくても、LGBTについて意義ある話し合いができるテーマとは何か」という、
これ自体がたいへん素敵な問いを頂き有難うございます。
レクチャー形式ではない、対等な語り合いで問いを深めていける、というのがポイントですよね。
真っ先に思いついた問いは、ありがちなテーマではありますが「同性婚を認めるべきか」です。
現在、同性婚(婚姻の平等)を求める全国訴訟も起こっており、タイムリーなテーマだと思います。
おそらく、てつカフェにいらっしゃる方はリベラルな方が多いので、
基本的には「認めるべき」という方向で進むのではと予想されるのですが、
実は一筋縄ではない問題もはらんでいます。
現在の日本では法的にも社会的にも、「結婚」に大きな特権と責任を与えています。
そこを変えずに「同性婚」を認めるというのは、実はそうした特権・責任の対象を広げるだけであり、
結局は(シングルで生きたい人、3人以上で愛し合うポリアノミー、友人同士で暮らしたい人など)
新たな「排除」を生むだけではないか、という議論が生じます。
これはもちろん、私が言っているだけではなく、
「反婚」の思想としてジェンダー/セクシュアリティ研究で(日本でも、海外でも)常に議論される点です。
では誰も排除しない形とは? となると、結局は結婚制度そのものを解体するしかないのか、
そもそも結婚や家族とは何なのか、と問いが深まります。
新たな排除を生んでも仕方がない、今より良いだろう、と「同性婚」を認めるのは、
なぜ同性愛者の権利がシングルで生きたい人の権利より優先されるのか、という議論につながります。」
どうです、深いでしょ。
というわけで「同性婚を認めるべきか?」という問いを採択させていただきましたが、
同性婚のことだけ考えていればいいわけではない、
まさにダイバーシティそのものが問われるテーマなわけです。
次回は同性婚を切り口として私たちの多様性を見つめ直してみようと思います。
「てつがくカフェ@ふくしま」は、
異性愛であれ同性愛であれその他どのような嗜好をお持ちであろうと、
誰でも気軽に対等に、安心して何でも話し合える場です。
初めての方もお気軽にご参加ください。