昨日、てつがくカフェ@ふくしま特別編第2弾が無事終了しました。
てつがくカフェはいつでも誰でもどんな発言も限りなく保障する空間です。
それゆえに、どんな人がどれだけ集まるか、どのような話しの展開になるかはまったく予想がつきません。
その意味で偶然性を保障する空間といえるでしょう。
そして今回、その偶然性の空間には福島県内外から約60名ほどの方々がいらしゃいました。
遠くは京都、神戸から参加された方もいらっしゃいました。
なかには、張り紙を見ておもしろそうだからと当日飛び込まれた方も複数名いらっしゃいました。
そうした多様な参加者が混然とする偶然の出会いの中で対話が展開されました。
今回のテーマは「あの日から1年、〈3.11〉で何が変わったか―震災・原発をめぐって―」。
今回は前回の
特別編第1弾での参加者の感想を踏まえ、前半は参加者全員ではなく約20名程度のグループを3つに分けて対話を行い、後半は全体での議論を進めるという形式で進められました。
ファシリテーターが対話の交通整理役とはいえ、その個性によって対話空間の様相もまったく異なるものです。
その意味で、各班がどのような展開になったのかは大変興味深いのですが、残念ながら全体の様子を総合的に見る立場のものがいないため、以下では報告者の目から見えた部分のみの記述になってしまうことをお許し下さい。
むしろ、私には見えなかった部分の対話に関しては、ご参加いただいた方々に左欄のコメントにご記入いただくことで、補足・対話の継続をしていただければ幸いと考えております。
【A班での対話の展開】
参加者は18名。その約3分の2は福島県外の方々です。
まず、〈3.11〉以後に何が変わったのだろうかという点について、各人の思いを自由に語ってもらうことから始まりました。
今まで原発に関わろうとしなかった、考えたこともなかった人々の意識は変わったのではないかというのに対し、それに追いつくだけの行政のシステムや対応、社会システムは変わっていないという意見が出されました。
たしかに〈3.11〉以前にも反原発運動はあったけれど、今回の原発事故によって人々の原発に対する意識は変わった、どうにかしなければいけないと思う人は着実に増えている、
しかし、それが社会を変えそうなんだけれど、もう一歩その変えるエネルギーが足りない、
日本人のほとんどはこの出来事によって「変わってほしい」と思っているはずだけれど、勇気を出して何かを変えようという何かが足りない感じがする・・・。
このように変わりそうだけれど、変わるための何かが足りないというもどかしさについて意見が挙げられました。
むしろ、海外で〈3.11〉を過ごされた参加者方や福島県外から参加された方は、思いのほか福島の人々の生活が日常と変わっていないことに驚いたとも言います。
それに対して、むしろこれまでの生活を変えたくないという人々の意識を無視できないとの意見が出されます。
もちろん福島に住む人々にとって、放射能に汚染された地域で生活する不安は払拭できません。
しかし、あの疲弊と不安に満ちた数ヶ月間を思えば、〈3.11〉以前の状態に戻したいというのが福島に生きる人々の率直な願いともいえます。
この日本社会のシステムが「変わってほしい」という思いと、これまでの生活水準は「変わってほしくない」という思いの振幅の差。
これは〈3.11〉以後の〈変わる/変わらない〉ことを考える一つの論点となりそうです。
というのも、それはけっして福島の人々だけの問題ではないからです。
そのことを「変わることへの恐れ」という言葉で表現した発言もありました。
いったい「変わること」が恐ろしいとはどういうことなのでしょう?
これについて、官僚など支配層が自らの権益を損なうことへの恐れであるとの意見も出されました。
しかし支配層だけではありません。
震災直後から相変わらず大食い競争のバラエティ番組を垂れ流し続けるマスコミ、収束していない原発事故の現状を冷温停止宣言する政府などは、実は市民の中にこそいつのまにか何事もなかったかのようにしてしまいたいという欲望が潜んでいることを見抜いた対応だともいえないでしょうか。
言い換えれば、それは現在の生活スタイルを変えたくない生活保守主義の問題です。
しかしその積み重ねが、実は何もなかったかのように「臭いものに蓋をする」という、〈3.11〉以後の社会の風潮として蔓延しているのではないか。
そして、そのことによって結局〈フクシマ〉は忘却されてしまうのではないか。
そんな危機感が議論の中で共有されました。
では、この忘却に抗うためには何が必要なのでしょう?
ある参加者は〈3.11〉によって「自分を変えなきゃ」という意識に変わったといいます。
そこで「変える」とは「自分はいいや」、「自分はもう年齢的に大丈夫」といった視点から脱却しすることを意味します。
この自分という視点から他者とともにという視点へ思考を拡大することは、何かを「変えること」の基本条件ともいえるでしょう。
しかし、これがなかなか社会全体に拡大されない。そんなじれったさを訴える意見も出されました。
このことを相変わらず「おとなしい国民性」は変わらないと表現した参加者もいます。
これだけの理不尽を強いられているのに、なぜ皆おとなしくしているのか。
もう一歩考え方を変える勇気を求める声、無理やりにでもこれまでの生活スタイルや考え方を変えることを訴える声。
「変える」ことへのもどかしさは議論の中で何度もくり返し登場しました。
とはいえ、万人に考え方の変革を強いることはとても困難ですし、ある意味で圧政的であることも否めないでしょう。
これに対しては、むしろ原発事故によって再生エネルギーを事業化しようとする企業の動きもあることは一つの希望に通じる変化だとの意見も出されました。
原発事故によってこのままの社会体制でいいはずがないと思う人がたくさんいても、その変える手段の選択肢がなければ結局何も変わりません。
そこに電力消費者が自分で考えて行動できる選択肢を企業側がどんどん出していければ社会は自ずと変わっていくし、一人ひとりの考え方の道徳的変革を求めるよりも、生活合理性に基づいた無理のない変化が可能になるのではないかというわけです。
また、この原発事故に対する不安や危機感という問題に関して言えば、福島で生活する参加者と県外からの参加者での意識の差についても論じられました。
たしかに、首都圏でも確実に原発や放射能汚染に対する意識が変わった人々も多いとの意見も出されました。
しかし、毎日の生活で覚える不安に関しては格差があるようです。
たとえば、福島県内に住むお二人の女性からは放射能の不安に悩む毎日であったことが吐露されました。
子どもたちの健康不安を最優先に守ることはもちろんだけれど、実際にこれから子どもを生む世代も同様に不安であるし、それに対するケアが何もない。
放射能の数値を毎日チェックして情報を集めるけれども、その数値や科学者の答えや行政の施策によってこの不安が根本的に払拭されることはない。
このまま福島に住んでいてよいのか、ここで子どもを生んでよいのか。
おそらくこの惨事がなければ、こうした生きることそのもに向き合う根源的な問いは生まれなかったかもしれません。
その意味で〈3.11〉以後、人生観や生に対する意識は根本から変えられてしまったといえます。
なるほど、「考えること」からしか物事を「変える」ことは始まらないかもしれません。
けれど、この福島に住むお二人からは、考えても放射能が消えるわけでも現実が変わるわけでもないという、どうしようもない無力感が訴えられました。
さらに、こうした意識は福島を離れた地域(首都圏など)の人々にはない意識であることが、いくつかの意見から確認されました。
すると、ここには危機感に関して「当事者性」や「距離感」というキーワードが浮かび上がります。
たしかに、阪神・淡路大震災のとき離れた地域にいた私たちは、あの出来事を我がことのように考えられはしなかったのではないでしょうか。
しかし、もしそうであるとすれば、〈3.11〉という出来事をめぐっては次第に被災地の外部からは忘れ去られていくことになってしまうのではないでしょうか。
これについて福島市出身で東京在住の参加者から興味深い意見が出されました。
その意見によれば、〈3.11〉以前には「福島」を意識したことはなかったけれど、この出来事によって郷土愛が芽生えたことが変わり、そして距離は離れていてもこの故郷への意識の変化によって、この出来事に関わっていこうという思いが強くなったとのことです。
忘却に抗うためには想像力が必要です。
では、その想像力を生み出すためには何が必要なのでしょうか。
この意見によれば、自分の出自やアイデンティティに関与する事柄であれば、関心を抱こうという想像力が生まれるということになります。
では、逆に言えば、自分のアイデンティティに関係のない事柄に対して私たちは想像力や関心を喚起できないということになってしまうのではないでしょうか。
〈3.11〉以前にも阪神・淡路、沖縄、水俣といった数々の問題が日本社会には存在しました。
それだけではありません。世界を見渡せば、現在もなおシリアの圧制や内戦、貧困に喘ぐ人々は無数に存在します。
しかし、そこに関わること、リアルな問題として意識化するということはなかなかできなかった。
また、そのような問題を〈3.11〉の被災者という立場になって初めて気づかされたという意見も挙げられました。
そのことを「傷」という言葉で表現された意見もあります。
「傷」を負って初めて私たちは、犠牲を強いられている他者の存在に思いが至ったというわけです。
では、私たちは自ら「傷」を負わなければ他者の犠牲への想像力を喚起することはできないのでしょうか。
この問いは開いたままにしておきましょう。
【全体会】
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全体会では各班で話し合われたことが報告されました。
●B班
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●C班
とてもこれらを集約した全体の対話などできそうにありません。
そこで後半は会場から問題提起を受け、そこに各班の議論が結びつけながら展開することにしました。
まず会場から提起されたのは、「変えるべきことと変えてはいけないことは何か」という論点です。
これについてはまず、変えるべきこととして「自由に対話ができる場所と時間」が挙げられました。
さらに、この意見には、なぜ原発や放射能を語ることがタブー視されているのかという疑問や、報道や行政による「正しい情報」の開示にあらためるべきという意見が関連します。
何かを隠蔽することは知ることによって何かが変わることを恐れるからでしょう。
その意味で言うと、「変わるべきではない」ことの一つに「平穏な日常」が挙げられことは重要です。
これは渡部班でも挙げられた論点の一つでもありますが、しかしこの「平穏な日常」とは実は〈3.11〉以前の異常なエネルギー消費文化の上に成り立っていたことを忘れるべきではありません。
海外から帰国したある参加者によれば、帰国して改めて日本の電気消費量の異常さに気づかされるとのことです。
この「異常」の上に成り立つ「平穏」とは倒錯以外の何ものでもありません。
そしてこの構造は誰かの犠牲の上に成り立つ「平穏な日常」であることを暴露してしまうでしょう。
もしタブーという問題が何かを変えずにおきたい欲望があるとすれば、この犠牲の構造そのものということではないでしょうか。
ある参加者はそのことを、相変わらず日本の官僚機構をはじめ社会の隅々にまで浸透している「台本主義」(形式主義)に示されているといいます。
議事録の有無だけは問題にされるけれども、議事内容に関しては中身を問わない体質。
立場上の発言はするけれども、個人的な意見を示さない体質。
そのことによって、誰も責任を引き受けない社会体質そのものこそが無責任体制が「変えるべきこと」ではないか。
何かを「変えるべき」理由を、この「責任」という観点から根拠づける意見も出されました。
また、何かを変えるためには行動も必要であるという意見も挙げられました。
その際、「変わる」ことと「変えること」についての違いについて論じる意見も出されました。
それによれば、何事も諸行無常のように自ずと「変わる」ものであり変わらないものなどないけれども、「変える」のは、その人の意志が介入していることになります。
たしかに、〈3.11〉以後も何をしなくても社会は変わっていくでしょう。
しかし、そこには少なくとも「否」という意志を示したりすることで、自動的な流れ(それは支配層に都合のいい流れともいえるのではないでしょうか)に楔を打ち込み、流れを「変える」ことになります。
こうした主体性がなければ「変わるべきこと」も変わらないだろう。
そんな意見も出されました。
いや、そもそも「変わるべきこと/変わるべきではないこと」という設定が間違いであって、あの〈3.11〉で犠牲になった人々、そしてこれからその犠牲になるかもしれない人々のことを考えれば、〈変わらざるをえない〉のだという強い意見も出されました。
そもそも〈3.11〉以前が異常な犠牲のもとで成り立つ社会構造であったことを踏まえれば、この出来事から私たちが変われるかどうかが問われているということの重さが伝わってきます。
重苦しい問いや発言が続く中で、では〈3.11〉以後の変化は希望に結びつくのでしょうか?
そのことについて震災後、さまざまな惨事があったけれど、
そして考えたくもないことを考えざるをえなくなったけれど、
ひょっとしたらそれは私たちにとってよいきっかけなのかもしれないと発言してくれた参加者がいました。
平穏な日常では考えもしなかった人生の苦しみ、答えのない問いを考え続けるのは、少なくとも考えない人生よりはましかもしれない。
この発言をしてくれた参加者は13歳です。
哲学カフェはこうした属性を解除して語り合う空間なのであまり年齢にこだわりたくはありませんが、
大人と対等に、かつ堂々と主張する中学生がこの場に自分の意志で参加してくれたという事実は、やはり希望の光の一つといってよいのではないでしょうか。
雪雨が降りしきる悪天候の中、日本各地からわざわざお出でいただいた参加者の皆様は心より御礼申し上げます。
これを機に引き続き〈3.11〉をめぐって考え合っていけることが、福島の希望の可能性です。
誠にありがとうございました。