野球小僧

相撲道

少しは落ち着いてきたかと思った相撲界ですが、貴乃花親方が休場(出勤していない)ということで、土俵の外で再び話題になっています。それは、ここ数年続出していた不祥事への曖昧な対応や、今回の貴乃花親方への締め付けなど、相撲ファンのみならず、多くの国民の関心が集まったくらいです。どこかの永田町界隈のように既得権益にしがみついていると言われても仕方がない旧態依然とした協会の体質が、まさに現在の日本を象徴しているようにも思えます。

ただ、ここまで貴乃花親方が孤立するようなことになったのは、貴乃花親方が相撲道を心から愛し、その相撲道の解釈が他の親方衆と大きな溝があるということではないかと思えます。 

貴乃花親方がまだ現役時代だったときに「中西進先生と相撲道」というタイトルで書かれているコラムがあります。

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中西進先生は当代随一の万葉学者であり、日本人が忘れてきてしまった“日本の美徳”を、言葉の起源をひもときながら誰にでもわかりやすく教えてくれ、目を覚まさせてくださる方です。その中西先生の著作集全三六巻が順次刊行されるとのお知らせを聞き、改めて先生の精力的な仕事ぶりに頭の下がる思いが致しました。

私が中西先生と初めて出会ったのは、東海道新幹線の座席ポケットに入っている『WEDGE』誌上でのことでした。地方巡業に赴く長い道中、ふと手にとった『WEDGE』に連載されている「日本人の忘れもの」を読み、心が揺さぶられるような思いが致しました。

私は15才で入門して以来、ひたすら相撲道を邁進して参りました。相撲界は一般の方から見ると特殊な世界のようで、未だに国技である“相撲”は完全に理解されているとは言えません。たとえば“横綱”についてですが、横綱とは「力士の中で最も強い者」「相撲という格闘技のチャンピオン」である、と解釈されている方がおられることが残念でなりません。同様に、相撲は“日本古来の格闘技”ではありません。相撲とは『神道』に基づき、男性が神前にその力を捧げる神事がその根源です。横綱に強さだけでなく、品格や厳格さが求められるのは、相撲が神事である証しといえるでしょう。横綱とは力士番付における最高位ではありますが、ただ勝ち星が多ければよい、他の力士に比べて力や技に勝り、誰よりも強ければそれでよいという存在では決してありません。

相撲の道を志すものは、「強くなりたい」という思いと同時に、「日本の伝統文化を守る」という強い意志が必要だと私は常々考えて参りました。それと同時に、相撲を通じて古来から脈々と受け継がれてきた日本文化の美学を後世に伝えていくことが、相撲に関わるすべての人間に課せられた義務であると考えております。

中西先生の著作に初めて接したとき、「ここにも日本の伝統文化を伝え、守ろうとしている方がおられる」と、まるで同士を見つけたように心強く感じると同時に、背筋が伸びるような思いをしたことを今でも覚えております。しかも、遠大なテーマでありながら中西先生の語り口に難解なところはみじんもなく、常にどんな人にも平易に読める文章で日本文化の奥深さを伝えてくださいます。このようなところにも、先生の温かなお人柄と、近代化の中で日本人が忘れてきたものを幅広く伝えたいという情熱がうかがえます。

私が実際に中西先生にお会いしたのは、貴乃花部屋創設の際作成した記念パンフレットに掲載するため、こちらから「是非に」とお願いし実現した対談のときでした。先生は文体そのままの方で、眼鏡の奥のまなざしは優しく、そして時に茶目っ気が感じられました。「相撲道」にも格別の関心をお持ちで、先生の専門分野である“言葉”から、様々な考察をされておられました。例えば、相撲の立ち合いで行司がかける“見合って、見合って”というかけ声については、「日本語で“見合う”というのは“誉める”という意味があるんです。これは、お互いに尊敬し合えるからこそ、真剣勝負ができるという深い意味が込められている証拠と言えます」という言葉をお聞きし、先生が相撲道の本質を見抜いておられることに深く感じ入ったものです。相撲の本質とは力の競い合いではなく、その時々の力と技の優劣を競うことに眼目があるという深い考察にも、先生の相撲に対する思いが伺えました。

対談でとりわけ印象深かったのは、中西先生が「女性が土俵に上がれないのはどうしてですか?」と聞かれたことでした。当時は、ちょうどそのことが世間で話題となる出来事があり、論争が起きていたのですが、先生はまさに直球でその真意を私に問うてきたのです。これに対し、私は「相撲とはもともと力士のどちらかが死ぬまで競い合うもの。土俵という闘いの場に本来守るべき存在の女性を上げるわけにはいかない。女性を土俵に上げないのは、この精神があるからなのです」とお答えしました。すると、先生は何とも言えない嬉しそうなお顔で「そもそもそのような由来があったのですか。一般の方々にも広くそうした事実がわかった上で、正しい議論が始まると上手な解決法が見つかるかもしれませんね」と深く納得されてらっしゃいました。

中西先生は文学を通じて日本が古代より女性を尊んできたことを熟知されておられます。日本文化が女性の手によって花開いていったその歴史を知り抜いておられる先生だからこその、安心されたご様子の笑顔と理解し、先生の「正しい議論」というお言葉に、私自身も勇気づけられる思いでした。

『日本人の忘れもの』--私が中西先生と出会うきっかけともなったエッセイのタイトルがそうであったように、近頃の日本は大切な多くのことを忘れてしまっているようです。我々は、日本人としての誇りを持ち「日本人の心」を今一度再確認しなくてはいけません。中西先生にはこれからも著書を通じて、この日本の素晴らしい伝統文化を未来に語り継いでいっていただきたいと願ってやみません。

万葉学者「中西進著作集25」に封入の「月報」より

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これを読みますと、貴乃花親方にとって相撲道とは神道に基づく神事であるということである。そもそも、大相撲は皇室神道として天皇に奉げられる神事であり、相撲は神社神道として、その地域の五穀豊穣・無病息災などを祈願祈念した神事であることからも、神聖なものでなくてはならないとの考えでしょう。

雑誌のインタビューを読むと、よくわかります。

--一部の報道では改革! 改革! と、貴乃花親方がまるで相撲界の伝統を壊すような受け止め方をされていますが、実は正反対で、旧きよきものを守りたいということなんですよね。

「確かに、私が理事になることで何か改革をしようとしていると受け止められています。でもそれは、ちょっとニュアンスが違うんですよ。改革ではなくて、相撲を通じて古来脈々と受け継がれてきた日本文化の美学を後世に伝えていきたいのです。相撲には相撲道というものがあります。目上を敬う心とか、礼儀を重んじる精神とか、昔から日本人が大切にしてきた心が、相撲ではまだしっかりと生きています。この相撲道は、世界でも例を見ない素晴らしいもの、時代が変わってもその価値が変わらない生き様であると、自負しています」

--目上の人間を敬うとか礼節を大切にする気持ちは、少し前の日本では当たり前のことでした。そんなことが本当にできない時代になっていますよね。

「そうでしょう! 街ですれ違いざま肩がぶつかっても、失礼しました、のひと言が言えない若い人は少なくないですよ。電車で座席に座っていて、目の前にお年寄りや身体の不自由な人がいても、席を譲らない人すらいます。私が子どもの頃は、そんな行いをしたら、大人から厳しく叱りつけられました。虐待は決してあってはならないけれど、大人は子どもにもっと厳しく向き合うべきです。そこに確かな愛情があれば、決しておかしな事態にはならないはず。両国国技館の中にある相撲教習所では、そういった礼節を教えています」

--ちょっと意地悪な意見になりますけれど、日本相撲協会という組織は公益法人であり、社会的にいろいろと優遇されています。それにもかかわらず、横綱が、その相撲の世界のしきたりを守らない。おいしいところ取りといわれても仕方がない。さらには社会人としてのごく当たり前のルールを守らないというのは……。

「つい最近のことですが、テレビを見ていたら、コメンテーターが面白い発言をしていました。その方は、相撲は日本の伝統神事なのかプロスポーツなのかを明確にしたほうがいい、とおっしゃっていた。なるほど、世の中の人はそう思っているんだな、と。実に参考になりました」

--どちらなんでしょう?

「両方ですよ。私は、神事で、武道で、スポーツであるのが大相撲だと理解しています。だからこそ、価値があり、魅力がある。無理矢理明確にしなくてもいいと思っています。ただし、公益法人であることなども含め、内部の人間が、もっともっと自覚を持たなくてはいけないと考えてはいます。外国から来た朝青龍は、そのあたりの理解が難しくて、反発心を覚えたのかもしれませんね」

--朝青龍問題の前には、時太山事件、大麻事件などもありました。相撲界が親方のいう相撲道を見つめ直す時期なのかもしれません。

「相撲道の基本は、人に幸せをもたらすことです。自分ではない誰かのために腰を上げる。それが相撲道です。それには自分自身の心も身体も強くなくてはいけません。そして、大義のために必要であれば闘う。そういう精神を自分のなかに育て上げ、持ち続けるのが、私たちの誇りです。これは日本人だからこそ持つことができる精神ではないでしょうか」

--確かに日本人特有の感情ですね。

「私は“誇り”という言葉と“プライド”という言葉の意味は別だと考えています。私が思うプライドは、胸を張って肩で風を切るように歩くイメージです。誇りは違う。肩の力を抜き、呼吸を整え、座禅を組むイメージです。そして、いざという時には、臍下丹田に力をこめ、臨戦態勢に入る」

--昔の武士がそうだったように。

「誇りのある者は決して自分の側からは仕掛けない。しかし、何かを守るために闘うべき時には、呼吸を整え、臍下丹田に力を入れて、すっと行く」


コメント一覧

まっくろくろすけ
eco坊主さん、こんばんは。
んんー、さっきニュースを見たらとんでもないことになっていますね。

昨年9月末から今年1月にかけて某部屋で暴力事件が起きていたこと。さらに、今日、東十両の関取が付け人に暴行したとのこと。

貴乃花親方がいかに高い志を持っていようとも、自分の弟子の教育が出来ないようではね。

いや、もう、開いた口が塞がりません。
eco坊主
おはようございます(*Ü*)ノ"☀

私は神道も武士道も極めたわけでもないし極めようと精進したわけでもないから全てのことが理解でき行動できるほどの輩ではありません。ごく一般的な礼節やマナーでさえ危うい人間です。企業に文書送ったりメールしたりするときの文章でさえ不安ですし、訪問してもキチンとした言葉が発せて応対できたかと気になります。
そんな輩ですが、今回の貴乃花親方の行動には理解している部分(賛同)と疑問視している部分(異議)があります。(殆どが賛同ですが)個人的な思いですので控えますが・・・

相撲協会!、レスリング協会!、そして内閣と財務省!
パラリンピックで頑張っている選手にも謝罪して欲しいです。

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