これは、大阪府高槻市内の
とある文化施設の風景である
わずかな入館料を払えば
終日ひまつぶしができる
碁将棋の道具も自由に使え
いつも数人がたむろしている
わたしはときどき、遠くからみている
対局したり、盤面を見たりはないが
それでも、おおよその棋力は分かる
(ような気がする)
一番強いのは、
いま石を打とうとしている中央のオジサン
右側のオジサンもおそらく有段者だろう
左側の見物オジサンは級位者か初二段とみた
対局姿勢、石の持ち方、打つリズムなどが
その判断材料である
わが地域同好会でも、
碁の作法や姿勢と、棋力とが
まったく無関係ではない
背筋を伸ばして盤全体を見渡し
碁笥に手を突っ込んだまま考えず
キチンと盤に石を置く碁打ちは
ただ者ではない
初段を目指すなら
そういうことを軽視してはならない
◇
以下、昭和の大棋士・坂田栄男の芸談
「石の持ち方は、人差し指と中指に挟んで持つのが普通であるが、
そう持たないからといって、失礼だということにはならない。
アマチュアでも、持ち方は変だが、碁のじょうずな人は珍しくない。
が、持ち方のじょうずな人は、大体強い人が多いようである。
打っている石の音を聞いただけでも、
その人の強さが大体わかるという人もある」
「わたしなどは元来不器用で、今でも持ち方は下手なほうである。
石の音が冴え渡るというわけにはいかない。
もっとも、誰でもその時々の気分で石の音は違ってくる。
ここぞ という勝負のときは、石にも力がはいるのは
自然の勢いというものだろう」
「よく新聞碁の対局場にあてられるある旅館の主人の話では、
石の音で、わたしが勝負手を打ったということがわかるそうである。
その石の音には、殺気がみなぎるというか、
相手に一撃をくわえなければやまない気合いがこもっているというのである。
なるほど、碁は一手たりともゆるがせにできるものではないというものの
のべつまくなしに力を込めて打っていたのでは相手も慣れてしまって、
ここぞという時、気合いで相手を圧倒することもできなくなるというものである」