【センセイにもいろいろありまして…… の巻】
千利休は若い頃、
武野紹鴎について学んだ。
ある時、紹鴎が その才を試さんと思い、
まず、これに庭の掃除を命じた。
利休は庭に出てみると、
茶亭の前は、箒(ほうき)の痕も鮮やかに
塵一つ落ちていない。
そこで、しばらく考えていたが、
ふと一樹を揺るがしてみると、
葉がひらひらとして庭に散った。
また一段の風趣を添えた。
よって「ただいま掃除は終わりました」
と言ったところ
紹鴎は、その才智を深く愛し、
ことごとく秘法を授けたという。
◇
大師匠には、
次代の大師匠となる独創が見えた
との逸話。
「師匠」という言葉は
中国古典に初見されるが、
平家物語にも、こうみえる。
「われ悲母の胎内を出でて、
師匠の室に入ってより此の方、
いまだ十重禁戒して犯せず、
さればなどかをがまれさせ給はざるべき」
とあるように、高僧などに用いられていたが、
やがて転じ、学問や芸能、技術などを教えるヒト
つまりセンセイに対して弟子が「お師匠」と
呼ぶようになったのである。
このごろ、センセイは
さらに広義に使われ
いろいろおられるようで。
たけの・じょうおう(1502~55年) 戦国時代の堺の豪商、茶人。4畳半以上の「寂敷(さひしき)」と区別し、より小さい3畳半や2畳半の茶室を考案して「侘敷(わひしき)」と称した