囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

「京の昼寝」かな

2020年09月18日 | 雑観の森/心・幸福・人生

 

「田舎の学問より京の昼寝」

 

都では見聞の利益が極めて多いので

都に住むバカ者も田舎の利口者より賢い

という言い伝え

田舎で勉強するより

都でなまけている方が

かえって見聞が広くなるとも

「田舎の利口より京の馬鹿」と同義

単に「京の昼寝」ともいう

 

むかしから各宗の本山学寮が多く

学僧も集まっているので

地方の寺での一人の勉強より

京都の本山暮らしの昼寝生活の方が

仏教の知識が身につくというのがいわれ

こうしたことから

「お山(比叡山)の昼寝、田舎の学問」とも

 

 

 

ああ、京都に遊びにいきたや うずうずしてきた 来週は行くぞ ~ 碁会所のない京都は、少し気の抜けたコーラである の巻】

 

今春以降、二つの囲碁サロンが閉店し

自然と足が遠のいている京都。

過去2度 計6年半棲んだので

人生の十分の一は、かの地で寝起きした計算なのだが、

残り十分の九のうちでも「近くに棲んで遊びにいく方」が

わたしは存外好きなのである。

 

そのワケはいろいろあれど、一つは「京ことば」にあり。

地方出身者には、けっこう敷居が高い。

多少は抑揚を真似ても、使いこなせない。

だから、棲むより遊びに行く方が、気楽なのである。

 

         ◇

 

例えば、こんな具合である。(おんなことば)

 

「ごめんやす、お居やすか」

「へえ、どなたはんどす」

「隣の『漂流人間』どすけど」

「まあまあ、よーこそ」

「主人がちょっと旅行してきたお土産で、

 ほんのあらあらしいもん(粗末な物)どすけど

 お口に合いまっしゃろか」

「すんまへんなあ。いつも、いつも えーもん(良い物)ばっかりもろて」

「滅相もない、ほんのおしるし(形だけの物)で」

「まあ、ちょっと、おあがりやしとくりゃすな、

 ぶぶ(お茶)でも入れまっさかい」

「へえ、おーきに、ほんなら」

「おてぼんで すんまへんけど、おひとつどうぞ」

「ほな、遠慮なしに呼ばれまっさ。おーきに」

「えーもん いただきまして、いつももらい捨てで すんまへん。

 これ、ほんのおためどすけど……」

 

 

 

 

 なあんて、ね

 敷居が高いどすな

 みやこ暮らし

 

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。