囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

線の交点にキチンと置こう

2023年06月17日 | ●○●○雑観の森

 

囲碁は、

ほかのボードゲームに見られない

〝特別の決まり事〟がいくつかある

 

初学者や級位者は

良く知らないようなので

はっきりさせておきたい

有段者にも怪しいヒトがいる

 

ひとつは

「着手を放棄する権利」である

平たく言うと「パス(着手放棄)」

将棋やチェスは「着手が義務」なのに対し

碁は自分の番に何度でも「スルー」できる

打ちたい時に打ち、打ちたくない時に打たない

互いにパスすれば、そこでゲームセット

つまり、これが「終局」である

(ダメ詰めもせず、手入れもせず

「終わりましたね?」と

漫然と尋ねるものではありません

これは昭和の時代までの〝悪習慣〟)

 

もうひとつは

「縦線と横線の交点」にキチンと

碁石を置くという基本原則の励行

将棋やチェスは「升目」の中に置く

多少ずれても、問題ないのだが、

碁の場合は〝点〟であるから

キチンと置かなければ紛らわしい

相手を困惑させてどうする、である

 

「そんなこと、当たり前だろ」と云うなかれ

これが、できない、あるいは、やらないヒトが

案外多いのが、アマ碁戦の現実なのである

過失なのか、故意なのか、見分けがつきにくい

後述するが、これがまたモンダイになる

 

「盤面がグチャグチャ」

「アゲ石はアチコチ」

「袖が引っかかり 石が始終ずれる」

「石をもてあそび、騒音を立てる」

こういう碁打ちは、上達しないどころか

対局を敬遠される傾向が次第に強まってゆく

本人が直せばよいが、悪癖は容易に修正ならず

〝碁会のお荷物〟となるのが哀しいオチだ

 

以前に

「碁のルールはさほど多くない」旨を書いた

 

プロの場合は、

過失・故意に関わらず反則イコール即負け

カネと地位と生活が掛かるので当然である

 

それに対し、アマはどうかといえば

〝過ち〟に気付いた場合に訂正すればよく

〝わざと〟でも指摘を受け入れた場合に限り

問題にしなくても良い、とわたしは思う

互いに貸し借りができた事実は残る

 

ちなみに反則のなかで

「二連続着手」

「コウをすぐ取り返す」

「取れない石を取る」

などは〝過失〟の部類だろう

「石の取り忘れ」もそうだが、

指摘を受け入れれば許そう

 

「交点からずれている」

〝過失〟も〝故意〟もある

「ハガシ(待った)」

明らかに〝故意〟である

今後、交際するか しないかは

相手の対応次第としよう

 

碁は原則として、

対局者同士で物事を決める

〝合意を軸にした遊び〟である

とはいっても、級位者同士で迷ったら

高段者に裁定を仰いでもいいと思う

 

それも親睦・交流のきっかけになる

片意地はらず、素直に認め合い、

いつも品位と敬意を忘れずにいたい

永く良好な関係を続けるために

 

 


日本囲碁規約

平成元年四月十日
財団法人日本棋院
財団法人関西棋院
(平成元年五月十五日実施)

財団法人日本棋院及び財団法人関西棋院は、昭和二十四年十月に制定した日本棋院囲碁規約を改定することとし、ここに日本囲碁規約を制定する。この規約は対局者の良識と相互信頼の精神に基づいて運用されなければならない。

第一条(対局)
囲碁は、「地」の多少を争うことを目的として、競技開始から第九条の「対局の停止」、までの間、両者の技芸を盤上で競うものであり、「終局」までの間着手することを「対局」という。

第二条(着手)
対局する両者は、一方が黒石を相手方が白石をもって相互に一つずつ着手することができる。

第三条(着点)
盤上は、縦横十九路、その交点三百六十一であり、石は、第四条に合致して盤上に存在できる限り、交点のうちの空いている点(以下「空点」という)のすべてに着手できる。着手した点を「着点」という。

第四条(石の存在)
着手の完了後、一方の石は、その路上に隣接して空点を有する限り、盤上のその着点に存在するものとし、そのような空点のない石は、盤上に存在することができない。

*後略

 

 

 

 

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