【冠婚葬祭は欠礼 ~ 魂を差し出せば ほしいものが手に入る世界から距離をおくの巻】
■子供の頃は、謎の転校生。
大人になって、転勤&転勤フラリーマン。
小心者ながら、根っこはへそ曲がり頑固ジイ。
◇
■十年前に父を亡くし、
喪中欠礼をきっかけに、
年賀状習慣を終わりにした。
その少し前、東京に単身赴任していた頃。
大阪・吹田在住の30年来の友人を亡くす。
その後、参列せず遠くで手を合わせることを常とした。
結婚式その他もろもろは原則行かない。
職場の忘年会など夜の会も参加しない。
ただし趣味の会の行事は万難を排して顔を出す。
「身勝手にさせていだだく」と決め込んだのである。
集団になじまない猫的性向を強めただけか。
皆でサクラを見たり、参拝したり、など
“つるんで行く”なんてことは違和感があり、性に合わない。
■しかし職場の送別会等を欠席したとしても、
「二人だけの集い」は細々続けている。
今年は、2人目である。
50代独身の後輩(気のいいオッチャン)が
<早期退職制度を利用して3月末まで>と知り、
「気楽な店で昼飯でも食おう」と誘った。
真面目一徹の“時代遅れの男”である。
努力のヒトらしく、仕事ぶりも堅実。
互いに30代の頃、何度か助けてくれた恩がある。
中国料理の大衆的な店がいいと言う。
わたしは、いつもの唐揚げ定食。
彼は遅れて出てきた大盛スブタ定食を平らげた。
もう一軒、“大正小町”が営むレトロ喫茶に誘った。
「ちょっと、見ます? ここだけ、ということで」
「ん? 何だよ」
スマホ画面には割増退職金等の明細。立派な金額である。
さて、老後の二大敵手「退屈&健康問題」を、いかに乗り切るか。
そんなこんなを、しばし話題にし、それぞれの職場に戻った。
「この男の顔も、もう見られなくなるのか」
春は、ちょっぴり残酷な季節である。
私たちは春の中で
淋しさに苛立っていた
通りすぎる春の中で
遅れることに怯えていた
もしも1人だったならば
もしも孤独だったならば
もしも虚ろだったならば
もしも自由だったならば
あぁ 春はあやまちの源
私たちは春の中で
遅れることに怯えていた
(中略)
あぁ 春はあやまちの源
私たちは春の中で
失くさないものまで
失くしかけている
アルバム「わたしの子供になりなさい」より
「私たちは春の中で」中島みゆき 1998年
確かに春は残酷だと思います。
文章を拝見していまして、うなずくところがたくさんありました。
いい曲を選べばれていますね!
とてもいい選曲です。