【三つの碁会の世話人を続けて思うこと の巻】
銭のことを、むかしは阿堵物(あとぶつ)といった。
中国の晋代の方言で「あんなもの」と言う意味である。
大臣だった王衍(おうえん)は清廉潔白で世に聞こえたヒト。
その妻、郭氏はなかなかの欲張りで、税を取ることを好んだ。
しかるに夫が一度も銭のことを口にしないので
なんとかして関心を持たせようと考えた。
ある時、下女に言い付け、部屋に銭をばらまいておいた。
やがて帰宅した夫は、これをみて
「阿堵物(あんなもの)は片付けよ」とだけ
至極あっさりと命じたという。
「阿堵物」は、清廉潔白な人物を意味するようになった。
しかし一方で、それだけではなかっただろう。
尊敬と親愛とは、本質的に相反するものである。
「どうしようもない堅物」「話せない奴」と、
陰口を叩かれていたのではあるまいか。
人をまとめていくときに、
緩んでは、組織は破綻しがちであり
締めれば、窮屈だと不平が出るものである。
百人いれば百通りのモノの見方、考え方が存在する。
一体、どうすれば、人と人との間に横たわる
バカげた馴れ馴れしさとバカげた友情を避けられるか
愛しもせねば 憎しみもせぬ?
何も言わず 何も信じない?
とかく この世は棲みずらい。
公開中=月給よりも友を選ぶ 2020/10/05