▲マタイによる福音書 第7章より
人をさばくな。
自分がさばかれないためである。
あなたがたがさばくそのさばきで、
自分もさばかれ、
あなたがたの量るそのはかりで、
自分にも量り与えられるであろう。
なぜ、兄弟の目にある ちりを見ながら、
自分の目にある梁を認めないのか。
自分の目に梁があるのに、
どうして兄弟にむかって、
あなたの目から ちりを取らせてください、
といえようか。
偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。
そうすれば、はっきり見えるようになって、
兄弟の目から ちりを取りのけることができるだろう。
(中略)
狭い門からはいれ。
滅びにいたる門は大きく、
その道は広い。
そして、そこから入っていく者が多い。
命にいたる門は狭く、
その道は広い。
そして、それを見出すものは少ない。
【フェアとアンフェアの間に】
「他人の目にある物塵(ちり)」
「自分の目にある梁木(うつばり)」
ともに、欠点のたとえである
自分の欠点に気付くには
他人が持っている同じ欠点に気付いて、
それを非難することが手っ取り早い
自分を矯正するには鏡が必要である
◇
先般の例会で、
ある有段者と3局打った
相手が三段なので2子置かせての
ハンディキャップ戦である
結論を先に言うと、
わたしの2勝1敗だった
いつもだいたいそうなる
彼いわく
わたしが序盤で大風呂敷をしいて
彼が突入し、痛烈イジメを喰って
劣勢になるパターンという
たしかに二子局で勝つためには
ヤキモチを誘ってから追い込むのが
わたしの白番の碁である
意地悪のつもりはないので悪しからず
ひとつ負けたのは
最後まで並べて2目負け
大優勢の碁で、わたしが緩み
指が滑ってヘマをやらかした
武士道の彼がそれをとがめず
ギリギリの勝負になったのである
つまり「待った=ハガシ」をせず
相手も、それをとがめず、という
フェアプレー精神をもってして
美しい対局がなったワケである
彼との対局は清々しく楽しい
◇
さて問題は、帰路で別の有段者と
立ち話をしたときのことだ
言いにくそうに
「この頃、ある人がハガシ(打ち直し)
をするので、困っている」と告白する
相手の名を尋ねても、口が堅い
ようやく「ここだけの話」となって
意外な人物の名を告げてきたので
わたしも、これには驚いた
そういえば、その有段者
かつての鋭さがなくなった
ハガシは、
万年級位者なら ご愛敬でも
有段者にあっては万死に値する
「これぐらの勝手は許してもらい
同じく相手にも認めてやる」という
レベルまで碁の質が落ちたのだろう
地域の趣味の会であれば
そう目くじらを立てても詮無いか
いやいや周囲に悪影響を及ぼすから
看過できないか、と考え込んだ
「待った・ハガシは反則負けですよ」
と、はっきり言える人は少数だろう
対局者同士の問題では済まないか
親睦碁会の対局環境は
なかなかビミョーである