【舞台裏から忽然と現れた「たたき上げ」のお手並み拝見 ~ 疑惑ゴマカシを継承せず、批判に耳を傾けよ の巻】
時代の風に乗り遅れたヒトがこともあろうに
自分の過去の経験が全てであるかのように
下の世代を律しようとする観念を
「旧弊」と呼んできた。
古臭い時代遅れ(アナクロニズム)が陥りがちのことで、
世がのんびりしていた時代の前例踏襲主義にみられる。
お堅い行政の世界が代表格だった。(少なくとも長期政権以前は……)
この言葉は、明治維新の初めから十数年後に流行した。
古代からの年中行事、習慣・風俗は冷罵を浴びて抹殺された。
作法は廃れ、礼儀は乱れ、仏事は忘れられ、神社はさびれた。
封建の日本を維持していた生活は、あっけなく壊れていった。
なにせ、回天をきっかけに、なんでもかんでも乱暴に維新したものである。
歴史は繰り返すといわれるが、はてさて、何を残し、何を捨てるか。
その判断軸がしゃんとせず、やみくもに前例を全否定するなら、危険極まりない。
そこには冷静に大局的視座でみて、語れる第三者の存在が要る。
碁でいうところの「岡目八目」というワケなのだが、
ここでは勝敗が決した後でなければ口を挟むことはできない。
現実社会はどうかといえば、結果が見えてからでは
遅きに失するというのが、常である。