ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

「日本人」とは?

2021-10-06 07:49:59 | 日記・エッセイ・コラム
真鍋叔郎さんが、温暖化の予測法開発の功績で、ドイツのクラウス・ハッセルマンさん、イタリアのジョルジュ・パリーシさんとともにノーベル物理学賞を受賞した。
今朝からそのニュースでもちきりである。
「おめでとう!」と言いたい。

気になったのは、真鍋叔郎さんについて「日本人の」がしきりに繰り返されることである。
真鍋さんの国籍はアメリカ合衆国だ。

Wikipediaには次のようにあった。
日本人は、次のような幾つかの考え方により定義、分類が可能である。
①国籍による分類 - 日本国民。
②地理的分類 - 日本国の領土に元来から居住してきた民族。大和民族(和人)、琉球民族、アイヌなど。
③民族的分類 - 日琉語族に属す言語を母語とする民族。

簡単に①は日本国民、②は日本民族、③は日本語族 とでも言い分けてみよう。

真鍋さんの場合は、②と③を指すということになる。しかし、民族の話をするならいざ知らず、個人について語るとき、②や③はふさわしくないように思う。
あえていうなら、「日本生まれのアメリカ人」というのが真鍋さんに関する正確な表現ではないだろうか。
それを敢えてあいまいな「日本人」という言い方をするのは、
日本民族の優越性を誇示したがっているような…?

こわい、こわい! ヒトラーを思い出す。
考えすぎだろうか。

真鍋さんたちの功績があって、今私たちは気候変動を認識し、それがもたらす危機を予測している。予測というか、すでにその最中にある。
ありがたい研究である。

一方で、真鍋さんが20代でアメリカに渡ったとき、すなわち1960年前後に、「米国のコンピューターの性能は日本の30倍、給料は日本の25倍」と福岡伸一さんは書いている。
すなわち「外部」からの搾取によって米国は反映し、そのおかげで研究も進んだ。

「外部」からの搾取によって資本主義は繁栄するとともに、「気候変動」というとてつもないものも生み出してしまった。

真鍋さんたちの功績は喜ばしいことであり、名誉や欲ではなく好奇心で研究に駆られてきた真鍋さんに好感を抱くのだが、社会を思うと何か複雑な思いもある。

いずれにせよ、彼の成果に「日本人」かどうかが関係するとしたら、日本の研究環境に見切りをつけ、好奇心を活かせる場所を選んだことが偉業のひとつだったのでは?
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