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昭和30年ころの交通状況

2009-02-19 10:07:46 | Weblog
   築地の市場を電動車が行き交う姿はさながら昭和30年頃の交通事情

 光明池安全運転学校で交通心理の講義をして20年が過ぎました。

 これまではOHPを使って、透明シートに印刷したりコピーしたものをプレゼン資料として使っていました。

 それが、この2月から、PCプレゼンに代わりました。

 パワポイントでプレゼンできるようになったのです。

 世の進歩に比べてなんとのんびりしているかとおもう方もいるとおもいます。

 で、私にとっては昨日が初回使用。

 電源がどこにあるのか探したり、持ち込みair-Macの画像確認などのため最初は躊躇したものの、あとはスムーズに話を進めることとなりました。

 大学でやるのと同じペースで話ができるのは楽ですね。

 で、戦後から20007年までの交通事故の経緯を示した図をつかった解説でいつもする話。

 1968年11月の国会で決まった道路交通法改正法案のこと。

 点数制度、違反切符制度導入の著効についてのくだり。

 あの法律が実際に施行された1970年が戦後事故ピークの70万件、負傷者100万人、死者が1万6千数百人。

 施行後5-6年たった1975-6年ではなんと事故数が50万件、負傷者が60万人、死者が8千何百人。

 法律一つで事故が3割減少、負傷者が4割減少、そして死者は半分になったという話。

 昭和30年代といえば、今、レトロブームの象徴で、みなよいことばかりいいます。

 私の小学校では、友だちが一人トラックに跳ねられ犠牲に。昭和35年ころでしたか。

 大阪市内の生まれ・育ちなので、外に出ると車があっちから、こっちから。

 小学校の通学路は2車線道路があり、事故多発帯。

 混雑すると、おまわりさんが黄色地に黒のストライプの入った台に立って、交通整理していました。

 緑のおばさんもいたようです。

 親からは、車には気をつけるようにと始終言われていました。

 昨年8月、東京はK大学の某教授に案内されて築地の市場を尋ねました。8時過ぎだったので、もう競りは終わっていたのですが、写真の車に乗った屈強な男性が私の前後左右を行き交うのです。

 なんて呼ぶのか知らないけれど、電気で動くんだそうです。

 そう早い乗り物ではないとはいえ、当たったら痛いし、けが人もでるようです。

 昭和30年代の交通事情とそっくりな眺めであったことがとても印象に残りました。 

2009/2/19記

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