コメント
吉田さんでした。
(
さんざし
)
2011-09-06 21:12:48
写真を見ることに、少しだけ勇気がいりました。
このブログの中で、スキャンされている絵を観た時に、吉田さんの絵ではないだろうかと、ほぼ確信に満ちた思いはありました。
当時から、彼はこのような特徴の絵をアクリルなどで描いていたのを観ていたからです。
一つ一つ丁寧に根気よく描いていました。
カリフォルニアで姓名が同じで、ピンフフロイドが好きで、歌が上手く、アシッドな絵を描く人、、、そうそういないと思いました。
思い切って書いて良かったと思います。
横顔に、間違いなく当時の吉田さんの顔を重ねても、殆ど変わらない、瓜二つなそのままの横顔です。
洒落っ気がなく、いつも髪を後ろで縛ってました。
ちょっと猫背な姿を思い出して悲しくなりました。
ヤマシタさんは、10年ほどアメリカにいらっしゃったとか?年代的に、私もいた時代です。
どこかで、もしかしたらお会いしたことくらいあったのではないでしょうか?
私は当時カリフォルニア大学に在学していて、バイトで日本人のバーにいたことがあります。
勉強が大変で、毎日出ていたわけではないのですが、当時は商社マンなどのお客が多く、チップが良かったのでお小遣い稼ぎになったものです。
吉田さんは、そこに来たお客さんです。
当時吉田さんはアートスクールを出てあまり年月が経ってなく、私は学生だったので優しく接してもらいすぐにお友達になりました。
おかしな人が多い中で、彼はほんとにいい人だったのです。彼には確か韓国人のガールフレンドがいて、絵では食べていけないからと、リトル東京の近くにあるお寺で掃除をしていたように聞きました。
「少林寺拳法をやってるから、ボディーガード代わりになるよ」と、何かと一人の私を気にかけてくれました。
そんな良い人だったけれど、深酒をして、大麻やら、きのこやらを手に入れている彼を知った時、これではいけないと思って、随分やめるように言いました。
でも、いつ会ってもラリッタような吉田さんを見て、これ以上は関わっていけないと、私は交流を絶ちました。
沢山の人と知り合い、別れ又出会い、そんなことを繰り返していくのが人生ですが、吉田さんとの別れは、一方的に私からの絶縁でしたので、私の中では非常に後味も悪く、そしてとても気にかかった人でした。
実は、このブログで見つけるまでに、2度吉田さんが夢に出てきました。
思い出したことも殆どなかった吉田さんが、夢に出て、少し嫌な胸騒ぎがしました。
ヤフーアメリカで彼の名前を入力したのですがヒットせず、一度は諦めて何年絶ったでしょうか。。。
又最近になって夢を見たのです。
夢の中の吉田さんは何を語るでもなく、でも私をジーッと観ていました。
夢から覚めて、又吉田さんを探すことにしました。
いろんなパターンで入力した結果、辿り着いたのがこちらのブログだったのです。
彼が曼荼羅をずっと描いていたというのは知りませんでした、でも、この独特のチラチラした色使いは変わっていなかったようです。
一時期は墨絵のようなこともやっていて、それを一つ記念に貰ったことがあります。
吉田さんが殴られて死ぬなんて・・・ショックですが、そういうことが想像出来る人でした。
そういう事が起こらなければいいなと、心のどこかで心配していたのですが、現実になって、あぁやっぱり・・・と思ったのも事実です。
お酒さえ飲んでいなければ、穏やかで優しい人なのですが、アルコールに溺れると、段々目がすわってきて暴力的になる傾向があったように思います。
ヤマシタさん・・・・やはりどこかでお会いしているようにも思えます。
その名前を吉田さんから聞いたのか、吉田さんを通じて一度くらいお目にかかっているか、バイト先で見ているか・・・きっとお会いしているように思えます。
長い年月を経て、こういう形で人が繋がる不思議な糸に、人間は魂で呼び合う生き物だと改めて感じているところです。
吉田さんの亡骸は、誰かが弔ってくれたのでしょうか。それとも、人知れず無縁仏のように扱われたのか・・・即死でないなら、自分の死を迎えるまで、苦しかったのではないかと、胸が痛みます。
長い手紙をすみませんでした。
でも、横顔の吉田さんの懐かしい顔を拝見できて
嬉しかったです。
ありがとうございました。
本当にありがとうございました。
胸にずっとつかえていたものが、スッと落ちたような気もします。悲しいですが、吉田さんの冥福を遅れたけれど祈りたいと思います。
よかったですね
(
fumio
)
2011-09-07 09:39:34
さんざしさん、こんにちは
あなたの探していた吉田等氏でよかったですね。
かれも何度も夢に出た甲斐があったでしょう。
今日のブログにもすこしかれのことを書きます。
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このブログの中で、スキャンされている絵を観た時に、吉田さんの絵ではないだろうかと、ほぼ確信に満ちた思いはありました。
当時から、彼はこのような特徴の絵をアクリルなどで描いていたのを観ていたからです。
一つ一つ丁寧に根気よく描いていました。
カリフォルニアで姓名が同じで、ピンフフロイドが好きで、歌が上手く、アシッドな絵を描く人、、、そうそういないと思いました。
思い切って書いて良かったと思います。
横顔に、間違いなく当時の吉田さんの顔を重ねても、殆ど変わらない、瓜二つなそのままの横顔です。
洒落っ気がなく、いつも髪を後ろで縛ってました。
ちょっと猫背な姿を思い出して悲しくなりました。
ヤマシタさんは、10年ほどアメリカにいらっしゃったとか?年代的に、私もいた時代です。
どこかで、もしかしたらお会いしたことくらいあったのではないでしょうか?
私は当時カリフォルニア大学に在学していて、バイトで日本人のバーにいたことがあります。
勉強が大変で、毎日出ていたわけではないのですが、当時は商社マンなどのお客が多く、チップが良かったのでお小遣い稼ぎになったものです。
吉田さんは、そこに来たお客さんです。
当時吉田さんはアートスクールを出てあまり年月が経ってなく、私は学生だったので優しく接してもらいすぐにお友達になりました。
おかしな人が多い中で、彼はほんとにいい人だったのです。彼には確か韓国人のガールフレンドがいて、絵では食べていけないからと、リトル東京の近くにあるお寺で掃除をしていたように聞きました。
「少林寺拳法をやってるから、ボディーガード代わりになるよ」と、何かと一人の私を気にかけてくれました。
そんな良い人だったけれど、深酒をして、大麻やら、きのこやらを手に入れている彼を知った時、これではいけないと思って、随分やめるように言いました。
でも、いつ会ってもラリッタような吉田さんを見て、これ以上は関わっていけないと、私は交流を絶ちました。
沢山の人と知り合い、別れ又出会い、そんなことを繰り返していくのが人生ですが、吉田さんとの別れは、一方的に私からの絶縁でしたので、私の中では非常に後味も悪く、そしてとても気にかかった人でした。
実は、このブログで見つけるまでに、2度吉田さんが夢に出てきました。
思い出したことも殆どなかった吉田さんが、夢に出て、少し嫌な胸騒ぎがしました。
ヤフーアメリカで彼の名前を入力したのですがヒットせず、一度は諦めて何年絶ったでしょうか。。。
又最近になって夢を見たのです。
夢の中の吉田さんは何を語るでもなく、でも私をジーッと観ていました。
夢から覚めて、又吉田さんを探すことにしました。
いろんなパターンで入力した結果、辿り着いたのがこちらのブログだったのです。
彼が曼荼羅をずっと描いていたというのは知りませんでした、でも、この独特のチラチラした色使いは変わっていなかったようです。
一時期は墨絵のようなこともやっていて、それを一つ記念に貰ったことがあります。
吉田さんが殴られて死ぬなんて・・・ショックですが、そういうことが想像出来る人でした。
そういう事が起こらなければいいなと、心のどこかで心配していたのですが、現実になって、あぁやっぱり・・・と思ったのも事実です。
お酒さえ飲んでいなければ、穏やかで優しい人なのですが、アルコールに溺れると、段々目がすわってきて暴力的になる傾向があったように思います。
ヤマシタさん・・・・やはりどこかでお会いしているようにも思えます。
その名前を吉田さんから聞いたのか、吉田さんを通じて一度くらいお目にかかっているか、バイト先で見ているか・・・きっとお会いしているように思えます。
長い年月を経て、こういう形で人が繋がる不思議な糸に、人間は魂で呼び合う生き物だと改めて感じているところです。
吉田さんの亡骸は、誰かが弔ってくれたのでしょうか。それとも、人知れず無縁仏のように扱われたのか・・・即死でないなら、自分の死を迎えるまで、苦しかったのではないかと、胸が痛みます。
長い手紙をすみませんでした。
でも、横顔の吉田さんの懐かしい顔を拝見できて
嬉しかったです。
ありがとうございました。
本当にありがとうございました。
胸にずっとつかえていたものが、スッと落ちたような気もします。悲しいですが、吉田さんの冥福を遅れたけれど祈りたいと思います。
あなたの探していた吉田等氏でよかったですね。
かれも何度も夢に出た甲斐があったでしょう。
今日のブログにもすこしかれのことを書きます。