曇り時々雪。最低気温−0.5℃、最高気温6.2℃。
講演会会場のビジターセンター
雪景色となった北海道開拓の村へ。
午後1時半から午後3時過ぎまで、村内ビジターセンター(旧開拓使札幌本庁舎)の地下1階で講演会があり、参加してきました。講師は北海道博物館アイヌ民族文化研究センター学芸主査の大坂拓氏。
大変興味深いお話の数々でしたが、中でも開拓の村に小樽から移築された青山漁家住宅にあったという弓矢から紐解かれた結末が意味するところは深かったです。
青山漁家住宅にあったという弓矢の鏃(やじり)にある文様が端緒でした。その文様は余市アイヌが用いていたものに似通っているというところから話は紡がれます。
スクリーンに映し出されたのは一枚の写真。それは、大正9年6月29日付けの新聞に掲載されていたもので、青山家が運動会の催しものの一つしてイヨマンテ(熊送り)の儀式を披露した際のものです。この儀式を担ったのが余市から招へいされたアイヌの方々だったのだそうです。なぜ、余市という遠方からだったかというと、当時、小樽にはアイヌが居なかったからとのこと。
小樽市街地からアイヌ排除の力が働いていたことを裏付ける文書が上記のものです。
小樽博物館裏手の岩の上辺りで飲料水を確保するのも難しいところだと伺いました。住めない土地をあてがわれて、結局、余市などの住める土地を求めて去ることになったというのが現状だったようです。このような理由で小樽に住むアイヌは居なくなり、0人と表示されるに至ったということです。
排除ありきで何の裏付けもない事実無根の理由で居住地を取り上げられたことに衝撃を受けました。
他に青山家にあったアツシという衣服は当主が愛用していたもので、雨にぬれてもべたつかず、すぐに乾くという特性から重宝されたようです。
講演の最後は「『見えるもの』=『いない』ことではない。」という言葉で締めくくられました。肝に銘じたいと思います。