透明な気圏の中から

日々の生活の中で感じたこと、好きな作家についての思いなどを書いてみたいと思います。

北海道開拓の村の旧秋山漁家住宅へ

2024-09-26 20:35:23 | 日記

曇りのち晴れ。最低気温15.5℃、最高気温24.6℃。

オーラ7歳(人間に換算すると28歳と若い!)

爽やかな秋の日差しを浴びて、開拓の村に穏やかな時間が流れていました。

本日のボランティアの担当は秋山家漁家住宅。

相方さんは大先輩の方で来村者への味わい深い解説を傍(そば)で耳にすることができ、有難く思っています。

今日は、広島県、千葉県、京都府、静岡県、新潟県、台湾、そして道内近郊からと三々五々、秋山家を訪れて下さった皆様とお話することができ、嬉しかったです。

秋山家は秋田県男鹿半島から焼尻に移住し、鰊を主とした刺網漁、アワビ、ウニなどの磯回り漁などで生計をたてていたご家族です。

大正9年に建てられた木造の家屋は長年にわたる風雪や雨に耐えて、今も気品のある佇まいとなっています。

この家屋に当時、2世代10数名の家族が同居しており、さらに漁の繁忙期には2~3名の助っ人を郷里から呼び寄せ、ここで一緒に寝泊まりしていたそうです。

ところで、秋山家の創始者・秋山嘉七さんは20名ほどの若者を引き連れて、焼尻に渡ってきたとのこと。嘉七さんという人物は統率力などを備えた、ただならぬ方だったのではと想像してしまいます。

鰊は昭和30年から31年を境に姿を見せなくなるのですが、秋山家は磯回り漁で生計を立てることができました。小規模で漁を行っていたことが幸いしたのかとも思われます。

ともあれ、1977年(昭和52年)まで使われていたという秋山家に一日中貼りつくことになったワタクシは、この家屋にも初代秋山嘉七さんにも親しみを覚え始めることになったのでした。

知ることは親しむことの始まりでもあるのかと・・・・・。

 

それでは今日はこの辺で。

明日が皆様にとって良い一日となりますように・・・・・。

コメント
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