透明な気圏の中から

日々の生活の中で感じたこと、好きな作家についての思いなどを書いてみたいと思います。

再び北海道開拓の村へ

2025-02-26 17:26:40 | 日記

雪時々晴れ。最低気温-0.3℃、最高気温2.8℃。

午前中、開拓の村へ足を運んできました。

開拓の村は54.2㌶、東京ドームおよそ10個分の広さがあり、4つのエリアに分かれています。市街地群、漁村群、農村群、山村群です。今日は市街地群のエリアを歩いてきました。

その中のいくつかをアップしたいと思います。

開拓使札幌本庁舎。屋根に翻っている旗に描かれている星は北極星です。北極星は北辰星とも呼ばれていたのでこの旗は北辰旗と呼ばれ、開拓使のシンボルとなっていました。赤い色は開拓者精神を表わしているそうです。燃えるような思いが込められたのでしょう。

冷たい風が吹いて、今日は元気よくはためいていたので、白地に赤い星のマークがしっかり見えました。当時の人たちがこの旗から元気をもらったように、ワタクシも元気をもらおうなどと勝手ながら思います。

市街地群の左側は馬橇のコースとなっています。

近藤染舗です。近藤染舗は旭川で最も古い染物店で、今から127年前の明治31年(1898年)に営業を始めました。

創始者は徳島県から移住してきた近藤仙蔵です。今は6代目の阿部安弘氏が旭川で東京以北で数少ない手染めでの営業を続けています。

永山からお弁当持参で神社ののぼりを受け取りに来た農家の若い衆です。

ナレーションが流れて、当時の旭川に染舗を始めたいきさつなどが詳しく語られているので、時間があれば、聴いてみるのも一興かと思います。

奥の間の違い棚の下に白っぽく見えるのはこのお店を建てた2代目滝蔵さんがたしなんでいた琵琶です。

大八車に頼まれた商品を積んで運んだそうです。提灯や唐傘など、当時の商店の様子が肌感覚で伝わってきます。

こちらは武岡商店です。今から127年前の明治31年(1898年)、武岡清吉が静内に建てたのがこの建物です。

武岡家は、旧徳島藩家老稲田邦稙に従い淡路島から静内に移住してきました。

清吉17歳の時の明治4年(1871年)、一家は来道。明治15年(1882年)から、米、酒、雑貨、荒物などを扱ってきた商家。明治34年(1901年)には郵便も取り扱うなど、この地域で重要な役割を果たしています。士族としての誇りを貫いた一族だったことが伺えます。

今日の建物は冬景色の中で、一族の矜持が前面に出ているようなたたずまいに見えました。

浄土宗の龍雲寺の鐘がりりしく見えます。

漁村群の青山家漁家住宅を遠目に眺めた後、明治大正時代の住宅群を通って札幌停車場へ戻りました。

駅舎の奥の部屋にもひな人形が展示されています。また、ゴールデンカムイの映画で実際に使用された馬橇も左側にあって存在感を発揮しています。写真には写っていないのですが・・・。

札幌停車場のホールでは山高帽や角巻、マント、わらぐつ、などの貸し出しをしています。

開拓当時の衣装やグッズを身にまとい、冬の村内を歩くといっそう味わい深い村散策になるかと思います。

(この度、取り上げた建物の名称ですが、いずれも「旧」を省きました。)

 

それでは今日はこの辺で。

明日が皆様にとって良い一日となりますように・・・・。

コメント
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