No.124-6 1985.12.29 (9:43) 足尾駅構内 210mm相当 F4 1/250sec
時代の流れと共に鉄道も姿を変え、古い写真は歴史を語る貴重な資料になると気付きました。 納戸からアルバムを探し出したので、未発表の写真を中心に紹介します。
40年前の、足尾銅山を支えた 鉄道の歴史を見て欲しい。
写真右の、黄色いヘルメットをかぶっている人が古河鉱業の社員。 写真中央の人は、協力会社の作業員。 濃硫酸の充填作業の準備中。
No.177-23 1987.3.22 足尾駅構内
足尾本山駅こと足尾製錬所で精製された濃硫酸はパイプラインで足尾駅構内に運ばれます。 貯蔵タンクからタンク車へ充填する作業は、平日・休日を問わず行われました。
No.117-20 1985.10.20 (14:45) 足尾駅構内 80mm相当 F3.8 1/250sec
足尾駅構内でタンク車の移動に使われていた小型機関車。
No.151-13 1986.9.23 (15:07) 足尾駅 725D列車 110mm相当 F5.6 1/250sec
足尾駅に到着する下り列車。 構内にいるDLは先行した1795列車の牽引機。 写真下方に写る住宅の屋根が 雰囲気良いです。
国道122号線バイパスのコンクリートよう壁上部より撮影。 国道から徒歩25分程度。 NHK施設に続く歩路の途中から、見晴らしの良い場所に出られます。
No.154-15 1986.10.9 (14:25) 足尾駅 1795列車 135mm相当 F5.6-8 1/125sec
1795列車は足尾駅に到着するとすぐ、前補機を切り離します。 この時代、まだ 車掌車が連結されているのが分かります。
足尾線では、上り列車も下り列車も、車掌車は機関車のすぐ後ろに連結されていました。
その理由は、桐生駅で両毛線に入る時に 進行方向が変わるためです。
< 貨物列車の列車番号は時期によって変更されています。正確な列車番号は、国鉄発表の資料を参照して下さい >
No.103-3 足尾駅構内 150mm相当 F4 1/250sec
高崎第一機関区所属の DE10。 足尾線では、DE10とDE11が貨物を牽引していました。 DE11は蒸気発生装置を持たない貨物専用機ですが、夏季に客車列車を牽いて入線している姿も見られました。
No.117-21 1985.10.20 (14:50) 足尾駅構内 80mm相当 F5.6 1/125sec
足尾駅構内を探索していた時、このような表示板を見つけました。 タンク車の車体にハリガネでしばり付けて使います。
No.126-9 1985.12.29 (10:07) 足尾駅遠景 105mm相当 F5.6 1/250sec
国道122号線バイパスのフェンスに望遠レンズを押し当て、北東側から足尾駅方面を写しています。 傾きかけた倉庫が並んでいます。
おもむきのある風景でしたが、これらの建物はすっかり無くなってしまいました。
No.179-19 1987.4.4 (20:10) 足尾町 35mm ハーフグレーフィルター F5.6 10min
建ち並ぶ鉱山住宅を見おろすバイパス道路から、備前楯山(足尾銅山)を望む。 山すそに伸びる白い光跡が足尾線。 732D下り列車です。 空にはスバルの姿も。
この頃、自動車に搭載する 車載テレビ という物が流行っていました。 NHKの大河ドラマで「 独眼竜政宗 」を放送していました。 夜間まで撮影する事が多くなっていたので、車載テレビが欲しくてしょうがなかった記憶があります。
No.259-25 1988.11.27 (5:57) 足尾駅構内 751D列車 80mm相当 F8 35sec
早朝から分岐器がけなげに働いていたので、カメラを向けました。 列車は、窓の明かりの光跡だけ写りました。
夜の写真に興味を持つ様になった頃の撮影です。 車中泊も増えていきました。
No.177-28c 1987.3.29 (8:38) 足尾駅構内 80~210mmトリミング有 F5.6 1/250sec
分割民営化を3日後に控え、この日は足尾線貨物列車の最終運転日です。 当日の日記には「 9791列車は単行運転。 構内に残っていたタンク車5両を牽いて9790列車発車 」とありました。
硫酸タンク車の組成を終えた入替え機は、構内の隅にゆっくり移動して行きました。。。
関連する過去記事 : 国鉄 足尾駅 貨物列車 最終運転日 1987.3.29
この頃、地元の上毛新聞では連日、国鉄足尾線の記事が掲載されていました。
廃止か存続か、バス転換か。そんな不安の中での撮影でした。
随分前から、わ鉄に通っていたんですね。