33年連れそった、人がさきだった。
長生きはしない相をしていたので、長生きはしないだろうとは思っていた。
まだ61歳。
母が逝った時、何時間もたってから病院で対面した。
涙は湧き出るものこともあると、その時思った。
父が逝った時、焼き場で、窯に入っていくのを見送ったとき、
嗚咽となって、直視していられなかった。
連れ合いがなくなった時、目の前の遺体をみても、信じられなかった。
警察で事情聴取を受けているときも、自分でも冷静なことが、疑問に思うほどだった。
「検視では、不十分。解剖をしますので、承諾書を」と言われても、淡々と受け答えをしている自分がいた。
そういえば、最近涙もろさが遠ざかっていたような。
冷静な自分に、かえって、不思議な気がした。
そんな、冷静に対応していたのに、解剖を終え、さっぱりとしてもらった遺体が、保管所へ向かう車を見送ったら、
涙が、湧き出てきた。
それまで、自分でも不思議なくらい冷静に対処してきたのに、突然に涙が迸った。
「なんでや・・・」と思わず口走った気がする。
「本当に逝ったんだ」と脳が納得した瞬間だったのだろうか。
この4日間。一粒の涙もなかったのに、なぜこの瞬間になってと、自問自答した。
また、一つ涙の不思議を味わった。