ふうせんのホームページ

合唱とパソコンを趣味として、つれづれなるままに、書き連ねます。

2011-12-23 00:39:31 | 日記

33年連れそった、人がさきだった。

長生きはしない相をしていたので、長生きはしないだろうとは思っていた。

まだ61歳。

 

母が逝った時、何時間もたってから病院で対面した。

涙は湧き出るものこともあると、その時思った。

 

父が逝った時、焼き場で、窯に入っていくのを見送ったとき、

嗚咽となって、直視していられなかった。

 

連れ合いがなくなった時、目の前の遺体をみても、信じられなかった。

警察で事情聴取を受けているときも、自分でも冷静なことが、疑問に思うほどだった。

「検視では、不十分。解剖をしますので、承諾書を」と言われても、淡々と受け答えをしている自分がいた。

そういえば、最近涙もろさが遠ざかっていたような。

冷静な自分に、かえって、不思議な気がした。

そんな、冷静に対応していたのに、解剖を終え、さっぱりとしてもらった遺体が、保管所へ向かう車を見送ったら、

涙が、湧き出てきた。

 

それまで、自分でも不思議なくらい冷静に対処してきたのに、突然に涙が迸った。

「なんでや・・・」と思わず口走った気がする。

「本当に逝ったんだ」と脳が納得した瞬間だったのだろうか。

この4日間。一粒の涙もなかったのに、なぜこの瞬間になってと、自問自答した。

また、一つ涙の不思議を味わった。