はじめて「はだしのゲン」を見たとき、原爆に向き合った内容には好感を持ち、ゲンの逞しさに、エールを
送りたい思いだった。
原爆の、非情さはほんの、始まりに過ぎない。
その後に人々に降りかかる、他人たちの仕打ち、冷たい視線、いわれのない批判、酷い言動、正当化される差別、諸々の災難は、被災者に容赦がない。
そうした、出来事の方が、よほど、酷いように思う。
他人って、あったかい心を持っている人も多いけれど、他人を貶めること、他人の心を踏みにじること、
死者に鞭打つという言葉があったが、傷ついて、苦しむ者への、容赦ない言動は、どういうものなのだろうか。
他人と手を組む、労わりの心を持つ。
それは、一部の心を持つ人なのか。
人の心は、弱い。自分が不幸だと思うと、自分より辛い人を見て、自分を慰める。
他人の痛みを自分の痛みに思うには、心が、広くないとできない。
「はだしのゲン」創作の真実
大村克巳
中央公論新社