「認知症で9607人不明、359人が死亡で発見」という記事があった。
「認知症で列車にはねられ死亡、遺族の賠償額半減」という記事も。
認知症で列車にはねられて、死亡した遺族に、
「同居していた妻は配偶者として男性の保護者の地位にあり、夫が老齢や疾病、精神疾患などで自立生活を送れなくなった場合、生活全般に配慮し、介護、監督する義務を負う」ということから賠償を命じた。
JR側にも、責任があるとしたもの。
認知症になった家族を、「監督する義務を負う」というのは、わかるが、認知症の現場を知らないのではないかと思う。
個人的には、認知症の家族を見たり、介護した経験はないが、漏れ聞くところによると、とにかく大変らしい。
2,3歳の幼児とはわけが違うよう。
認知症がすすむと、少し目をはなしたすきに、家をでてしまうそう。
夜中でも、朝早くでも、それこそ、48時間監視しろという風に聞こえる。
介護する人だって、食事をしたり、眠ったり、入浴したりは必要。
人を介護するのに24時間、毎日なんて不可能。
介護義務があるのに、怠ったという賠償の判決があったと聞いて、部外者ではあるが、腹だたしく思った。
認知症を患った人を身近に絶対見たことがないなあと思う。
しかし、身内に体験していなくても認知症の家族を介護する立場になった人の大変さは少し推し量ることはできる。
「義務を負う」のはわかる。
しかしながら、現状を把握しない今回の判決は、遺族にとっては、踏んだり蹴ったりの酷さだといえる。
5年ほどたったろうか。
ご近所の一人住まいの女性が、少し離れた公園で朝、遺体で発見された。
凍死だったと聞いた。
葬儀で、別居していた長女が、涙ながらに無念を訴えていたのを、今でも思い出す。
彼女はなぜ、離れた公園にいたのか。
なぜ、朝まで見つからなかったのか。
時折、行方不明の市内放送がある。
たいてい2,3時間ほどで、「見つかりました」の報があって、他人事ながら安堵する。
小さいこの場合、お年寄りの場合、とあるが、数字ではお年寄りの報が多い。
同居家族がいれば、捜索願いも出るが、一人暮らしだと、ひっそりととなる。
最近は、二人暮らしでも、あいつでといった悲劇が起きる。
都会の孤独、都会のすきま、悲しい現実。