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ルーツとは、根源・先祖という意味があります。自分がどこから来たのか、ときにふと誰もが一度は思うことがあるのではないでしょうか。根源を知ることは、改めて、今の自分を知ることにもなり、今を生きることの糧ともなるのではないでしょうか。自分なりに調べたことを書いてみたいと思います。
約46億年前に地球が誕生し、その地球に人類が誕生したのは、およそ500万年前のアフリカであると言います。ヒト属(ホモ属)はおよそ200万年前にアフリカでアウストラロピテクス属から分化し、現生人類であるホモ・サピエンスは40万年~25万年前に現れたとされています。 多くの生物種は、長い時間をかけて環境の変化に身体の形態を変えて適応させてきたのですね。
また、これまで地球上の生命は、気候変動や火山の噴火、氷河期、隕石の落下などによって、5度の大量絶滅を経験してきました。 そして、次の6度目は、度を超した経済活動や開発行為が原因で引き起こされるといわれています。
ホモサピエンスが世界中に広がったのが、10万年前頃で、7万年前頃、地球が最終氷河期を迎え、4万年前頃、日本列島に人類が渡ってきたということです。古代日本に人類が住みはじめた旧石器時代は、人類が日本列島へ移住してきた時に始まり、終わりは1万6千年前頃とされています。
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私が住むふるさとですが、1997年に東京 ― 長野間の「長野新幹線」として開業した駅のひとつ、佐久平駅があります。思えば、佐久平駅が出来る前までは、その周辺は一面の田園地帯でした。4キロ離れた小学校の通学には、その長い田んぼ道でオタマジャクシを眺めたり、稲穂の上を飛び交う赤トンボを眺めたりしていました。今では、イオンやスーパーなどが立ち並び、見ることのない風景となってしまいました。
その佐久平駅周辺の様々な開発に伴い、いくつもの発掘調査がおこなわれると土器が出土したりして、弥生時代の集落の存在が明らかとなってきたのです。佐久平浅間小学校近くの「西近津遺跡」では弥生時代後期の3世紀頃の住居跡が発掘されました。南側の「周防畑遺跡群」では、国内最大級のヒスイ製の勾玉が発見されています。
また、隣の御代田町の浅間縄文ミュージアムは、今から1万5000年前~2500年前まで、1万年以上続いた「縄文時代」と「浅間山」をテーマにした博物館で、縄文関係の資料と浅間山関係の資料を展示していて、なかでも100点を超す縄文の国の重要文化財資料は圧巻です。
二世紀末から三世紀前半にかけて、当時の日本を統治したという邪馬台国の話がありますが、その頃のここ、ふるさとの地にも日本最大級の竪穴住居跡があったということは驚きとともに、弥生時代に思いを馳せる私です・・・・。
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古代出雲は弥生時代・古墳時代の出雲を指すとありますが、先日、ふと、自分の先祖は出雲族ではないかと教えられる本に出会いました。
出雲族についてですが。大国主神(おおくにぬしのかみ)は、日本神話に登場する神。国津神の代表的な神で、国津神の主宰神とされ、出雲族は、古代の出雲地方に存在したという説のある種族です。出雲神話の担い手として想定され、出雲地域からは大量の銅鐸や銅剣などが出土した遺跡もあり、実際、大和朝廷に対抗していたように思われます。
本山博先生のお話より。
「出雲族は三千年ぐらい前日本が石器時代だった頃に朝鮮の新羅、あるいは北朝鮮東岸の辺りから渡ってきた民族で、この民族は北方(満州)の騎馬民族、中国系の民族、ビルマ・ベトナムなどの南方系の民族が長い年月にわたって争ったり、混血したりして、朝鮮の南で融合した文化を持っていました。
一度に民族大移動をしたのでなく、新羅族の小部族が何回かに分れて日本海の沿岸各所に上陸してきたものと思われます。その頃日本海側に住んでいたアイヌは少数で、山に近く住んでいる食料自然採取民であったから、鉄・農・漁の高い文化を持つ渡来人とは勝負にならず、少々の争いはあったとしても大筋では共存し融合して行ったようです。
このことは熊野大社が、はじめアイヌの信仰した神山熊野山を出雲族が受け入れて祀られていることによりわかります。
熊野大神は御神気が非常に強い、もとはアイヌの神で、山自体を神として信仰していた。新羅から素戔嗚尊を首長とする民族が渡来して出雲族となり、アイヌ族との争いも少しはあったようだが両族は融合して、アイヌの信仰を受けついで熊野大社となった。大和の三輪山と同じで、山が御神体だったのです。」
また、出雲族といえば大和族・大和民族という言葉がありますが、大和民族は、日本列島の住民の大半を占める民族である。ほとんどが日本語を母語とし、日本列島に居住する民族である。和人とも呼ばれる。日本列島の住民のうち、古代の大和朝廷や中世の武家政権の施政下にあった人のみを大和民族とし、近世に幕藩体制下に組み込まれた奄美群島および琉球諸島の琉球諸語を話していた住民を琉球民族、北海道に住むアイヌ語を話していたアイヌ民族と分類する考え方もあり、これらを総合して民族を指す場合は日本民族と呼称すると。
・次回に続く・・・。