第八十九首
玉のをよ たえなばたえね ながらへば
忍ぶることの 弱りもぞする
式子内親王
(1149-1201) 後白河天皇の皇女。賀茂斎院を勤めた後、出家。藤原俊成、定家親子に和歌を学んだ。
部位 恋 出典 新古今集
主題
人目を忍び心に秘める、忍ぶ恋の激しい心情
歌意
私の命よ、絶えるなら絶えてしまうがいいわ。このまま生き永らえたとしても、恋心を隠し通す気力も衰えてしまうことでしょうから。
「忍ぶることの」 忍ぶこともできなくなり、心が外に現れるかもしれないから。
式子内親王の代表作でもあり、『百人一首』中でも屈指の名歌に属する。「忍ぶる恋」(人目を忍ぶ恋)の題詠であるが、この歌題こそ、内親王の美しくも追いつづけた恋の姿勢であった。
内親王の家司であった定家は、しばしばその邸に参入し、御病状の変化に一喜一憂するさまが『明月記』に書きとめられている。定家はこの一首を選ぶに当って、ありし日の内親王の姿をまざまざと思い出していたことであろう。
『千載集』以下百四十九首入集。