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1986年度 詩誌『月刊近文』より紹介です。
『裸木』 嵯峨京子
きのう
足元を色どっていた
葉も もうない
こどもたちの遊ぶ姿も消えた公園に
佇んでいるいっぽんの木
余分なものすべてを捨てた
ジャコメティの像のように
空に向かってそそり立つ
長く臥せっていた母の手の
甲に浮きでた血管
亡くなった日の
痩せ細った手のかたち
あかいものが流れていただろうに
前からの約束ごとのように
母は
色づいたものを
ひとつづつ落として逝った
散るのはひとり
生きるのもひとり
花のあかく咲く理由ばかり
追いかけてきたが
花はなく
葉もなくそそり立つ
色を落した裸木
が 枯れているのではない
わたしの原風景
『星占い』 福中都生子
どういう性格なのか
わたしは 占いが信じられない
あたるも八卦
あたらぬも八卦
お笑いばなしならそれまでだが
手相も 顔相も 筆相も 花占い
もちろん 占星術も信じられない
人間の運命なんて
とことん生きてみなくてはわからない
過ぎ去った不運をくりかえさないこと
信じられるのはただそれだけだ
戦争に負けるなどとは
夢にも思わなかったあの軍国少女時代
たわむれに十七歳だったわたしの手を取って
つくづくと手相をみつめた男がいた
レントゲン技師だったその人は言った
―あんたは二十二歳が人生の転機だな
―どういう意味?それは―
―もしかしたら
―もしかしたら?
―その年に死ぬかもわからん
絶句したわたしにしばらくして男は
―冗談 冗談 それはじょうだん・・・・・・
と笑いながら去っていった
死ぬかもしれない二十二歳
わたしはそれから何度も死んだ
夢の中で頭をピストルで撃たれたり
心臓をナイフで一突きされたりした
死んだはずだよ おともさん
まだ生きてるなんて
だから 占いなんて信じられない
でも ハレー彗星よ
あなただけは信じてあげよう
七十六年経ったら私は必ず死んでいるけれど
あなたはもう一度
この地球を見にいらっしやい
『おもいで』 山下俊子
太陽にのぼせあがった草原を
かきわけるように声もなく川がひそんでいる
田舎の片隅で逃がした
魚の尾の水しぶきの響きだけを
手のひらにのこして
夏は過ぎていった
落葉に埋もれた
きのこを探して山をさまよう時も
樹氷を目ざして金剛の山へ登った時も
手のひらで
魚の尾の激しさがよみがえってくる
新しい命が
新しい時の訪れとともに
新しいエネルギーを持って飛びだすという
雪解けの水に手のひらをひたすと
春の陽が
水のこころを浮き立たせ
虫達の肌をあたため
逃げた魚は卵を生み
卵は逃げた魚と同じ顔をして
群れのなかを泳いでいるだろう
『風を呼ぶ』 岩城万里子
扉という扉を開け放す
食器棚の戸
流し戸のドア
下駄箱のドア
浴室のドア たんすのドア
そして押入れのふすまも
ガラス窓も すべて
朝の風が通っていく
表口から裏口へ
夏を告げる雨上がりの風だ
ひとり暮らしにかびが生えると言ったのは
誰だったか
いやそれは私
暗い部分 湿った部分
家賃のために働く暮らしのなかでは
光や風を入れてやることができない
年に一度しか巡ってこないようなこんな休日
別れた夫のはにかんだ笑顔も
新しい恋人のやさしさも
あの空の積乱雲のあたりに吊り下げておいて
風を呼びこむことに夢中になる
町を沸かせる夏祭りももう真近
私をいっとき躍らせる
花火の音が耳の奥で鳴っている
・続きは次回に・・・・。