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地球にて。
『ぼくと宗教と・・・』
はじめに
ぼくは宗教ということを本当に考えたことはなかったのです・・・・。
ぼくの家には神棚があり、神棚には、皇室の御先祖である天照大御神と、氏神様、崇敬する神社のお神札が祀られています。それとは別に、仏壇があり亡き両親の位牌が祀られています。で、今回、ぼくは、いろいろと考えてみました。
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先ずは、ぼくの家の宗派は、曹洞宗です。
仏教の生みの親、お釈迦様の第二十八代目の弟子、達磨大師が六世紀にインドから中国に渡来して、禅宗を開きました。禅はいつしか中国中に広まり、その禅宗のなかの一つが曹洞宗と呼ばれるようになりました。
日本へは、鎌倉時代初めに栄西禅師が臨済宗を、道元禅師が曹洞宗を伝え、江戸時代には隠元禅師が黄檗宗を伝えたとあります。
菩提樹の下の瞑想の末に悟りを開いたお釈迦様とありますように、坐禅は曹洞宗の修行、信仰の基本です。ぼくは、改めて坐禅をしたことはないのですが、24歳の頃、瞑想ということを知りました。その瞑想イコール坐禅でもあるのだと思うぼくではあります。
そして、菩提寺には、家族の葬式の時などお世話になるので、普段は気にしていませんが、曹洞宗である菩提寺との関係は密接なものなのでしょう。
が、
「しかし、最近では菩提寺を持つ家が少なくなっているのが現状です。その理由としては、仏教をはじめとする宗教への信仰心が薄れてきたことや、跡継ぎがいないことから民間霊園などで継承のない一代限りのお墓を持つ人が増えてきたことなどが挙げられます。」
の、文句に出会うと、ぼく自身、社会人になるまでは、これといった宗教への関心もなく、これといった信仰心もなかったことを思います。
実際、社会人となり、超心理学会創立者であった○○先生との出会いにより、改めてぼくは、宗教について考えるようになったのです。
そのときの○○先生の教え、
「ひとりひとりが自分の心を成長させていくこと、つまり直接神とのつながりを経験して神の愛を体得することが必要です。」
の言葉が、ぼくの宗教心のもととなっているのです・・・・、
* * * * * * * *
禅宗では、悟りを得ることが最終目的とされます。悟りとは、仏教の教祖であるブッダが到達したとされる「生死を超えた永遠の真理」のことです。
禅宗において、悟りは「自分の持っている仏性(仏になれる性質や可能性)に気づき、さまざまな執着を捨て去ること」とされます。この悟りを得るために、雑念を持たずに心を集中させる「禅定(ぜんじょう)」と呼ばれる修行を積むのが、禅宗のあり方です。
臨済宗では、自分の内に持っている仏性に向き合うことを重視するために、特定の本尊を定めてはいません。などとありました。
要は、自分自身が仏になることが仏教であり、自分自身が神様とつながることが神道なのだということなのだと思うのですが。神様と仏様は、同じようであり、どこか違うようであり・・・・。
次に、家の神棚に祀られている神札(しんさつ)について、調べてみました。
崇敬神社としての御嶽神社ですが、亡き父は、何度か参拝していました。
御嶽神社は、御嶽大神と呼ばれる国常立命(くにとこたちのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこのみこと)を祭神とし、智恵・才能を授け、長寿を護り、病難を癒し、禁厭を司る霊妙神として祀られています。その信者は毎年夏になると白装束に身を包み、「六根清浄」を唱えながら訪れ、累代の子孫繁栄、無病息災を祈念し御嶽山に登拝しました。とあります。
(国之常立神は、日本神話に登場する神。『日本書紀』においては、初めての神とされる。日本神話の根源神として一部神道・新宗教で重要視されている。伊勢神道では天之御中主神、豊受大神とともに根源神としている。)
また、自らが居住する地域の氏神様をお祀りする神社があり、この神社の鎮座する周辺の一定地域に居住する方を氏子と称します。ぼくの暮らす地域の氏神様は、味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)・国譲り神話にアメノワカヒコ命の友人として登場する美青年の神さまで、名前のスキは、農具の「鋤(すき)」から連想されたもので、もともとは鋤を御神体とする農業神だったようです。
そして、神棚の中心にいる天照大御神についてですが、ぼくは、この地球も太陽の恵みなくしては存在できないので、天照大御神とは、太陽神かなとも思ったりするのですが・・・・。
天照大御神について、調べていくと、
父 イザナギ(伊邪那岐神、伊邪那岐命、伊弉諾尊)
母 イザナミ(伊弉冉尊、伊弉弥尊)(日本書紀でのみ、古事記では誕生に関与していない)、
<『日本書紀』は、養老4年(720)成立。 舎人親王撰。 日本最古の官撰の史書で、神代から持統天皇(在位687~697)までを収めています。><古事記は、日本の日本神話を含む歴史書。現存する日本最古の書物である。その序によれば、和銅5年(712年)に太安万侶が編纂。>
三貴子(イザナギ自身が自らの生んだ諸神の中で最も貴いとしたアマテラスを含む三姉弟の神)
弟 ツクヨミ(月読命、月夜見尊)(記紀に性別についての記述がなく実際は性別不明)
弟 スサノオ(建速須佐之男命、須佐之男命、建素戔嗚尊速、素戔男尊、素戔嗚尊)
等と、ありました。
・次回に続く・・・・。