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第六章 成象(形象(からだ)を成就させるもと)
神を 谷 (やしな)えば死せず。
是を玄牝(げんびん)と謂う。
玄牝の門、是を天地の根と謂う。
綿綿として存するが若し。
之を用いて、勤めず。
第六章は、天地自然の、成立の根本原理と、天地自然の、万物に対するはたらきを、玄牝、という言葉を用いて表現しているものであって、一章とともに、老子の思想の根本となることを説いている章である。
万物は、天地自然の絶大なるおくりものを十分に活用するためには、常に秩序的であり、柔軟性をもって、総てのことに対処するようにしなければならない。
生物は、無生物と異なっていて、自由に動くことができるということもあるが、身体は、物体であることには変りがないのであるから、自然界の法則は、無生物と同様に受けなければならない面のあることはいうまでもないことである。また、生物は、生理的な規制も受けなければならないわけであるが、概して興奮性の強い男性側には闘争心が強いために、柔軟性を働かすべき場合にそのことを忘れがちとなり、疲れやすく、傷つきやすく、寿命も、女性側より短いのが、総ての生物を通じて見られることである。
宇宙創造の精神に基づいて万事を行おうとするものは、世が乱れているようなときは、実力者というべきものと、正面から衝突するようなことがないように、目立たないように総てのことを行うのが最もよい方法なのである。
谷神の、谷(こく)は、偉大という意と、養うという意味とがあり、神とは、精神の意。谷神は、天地自然が偉大なる愛情と、秩序をもって、万物を養っていることを表現するために用いた言葉。
玄牝は、深淵、霊妙にして、女性的柔軟性をもって、秩序的にものごとを処理し、或は、調整する能力を指す。
天地は、天地自然の意。
存するが若くは、万物を養い育てる精神がいつも続いているようである。という意と、目立たないように、という意と、両方の意味を含んでいるように思われる。
勤せずは、つかれないという意。