葛飾北斎と私 『富嶽三十六景』
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葛飾北斎(かつしかほくさい)。名前だけは知っていたましたが、ほとんど何も知らなかった私です。北斎は、宝暦10年9月23日〈1760年10月31日〉~嘉永2年4月18日〈1849年5月10日〉)の生涯で、江戸時代後期の浮世絵師です。画号は幾度も変えていて、75歳のときは、「画狂老人卍」です。晩年まで制作意欲は衰えず、古希を過ぎた自分の憧れの人としていいのではと思いました。ちなみに、憧れの画家ゴッホの生涯は、1853年3月30日~1890年7月29日でした。
それでは、名前だけは知っていた北斎の『富嶽三十六景』ですが、本などを見て、私なりに紹介して行きたいと思います。『冨嶽三十六景』は、葛飾北斎による富士図版画集である。1831-34年(天保2-5年)版行とあります。北斎は、富士山と庶民生活、風俗を結びつけ、変わりゆくさまざまな富士像を描きました。
第1図、「神奈川沖浪裏」(かながわおきなみうら)です。
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「神奈川沖波裏」は「凱風快晴」「山下白雨」と合わせて三大役物と呼ばれる同シリーズ中の傑作で、最も広く世界に知られている代表作です。この激しい波の表現には圧倒されます。この構図と発想には言葉もありません。まさしく、北斎の北斎たるゆえんですね。