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・・・性についてですが、実際の知恵として認識するのは、第二次性徴としての思春期から社会人となり大人としての思慮分別が出来るようになってからなのでしょうか。プライベートなプライバシーに関する性ですが、ヌードからの連想で・・・・。
この世に生きる人間の性(さが)なのでしょうか。思えば、性(せい)と読み、性(さが)とも読みます。性とは、まさしく人間にとっても本質的なことであるのですね。性についてですが、自然の目的は生殖であり、生殖のための性の衝動をもつのですが、人間は、生殖のためだけでなく、性にたいする欲望のための性の衝動をもっていると。
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その性についての魔力。蛇が見目麗しい女に変身して、若い一人の男・豊雄の前に現われた『雨月物語』(近世日本文学の代表作 上田秋成著)のなかの『蛇性の婬』からの紹介です。
豊雄と蛇の化身真女児(まなご)との出会いの後の、豊雄の兄嫁の言葉です。
兄嫁は笑って、「あなたのような若い男がひとり寝をなさるのが、かねてお気の毒に存じていましたので、それはたいそうよい事です。ふつつかですが、私がうまく話してあげましょう」と言って、その夜、夫太郎に「かくかくしかじかとの事ですが、けっこうな事ではありませんか。父上の手前をよくとりなしてあげてください」と言う。
また、最初の真女児との出会った後の描写です。
・・・・しかし女の面影がどうしても忘れられず、その夜はなかなか眠れないで、しばらくうとうとした夜明け方、夢の中で、その真女児という女の家を尋ねて行って見ると、・・・・真女児は出迎えて、「あなたのお情けが忘れがたく、おいでを待ちわびておりました。こちらにおはいりください」と言って奥の方に誘い、酒や果物など、さまざまにもてなして、うれしく酔った酔心地から、枕をかわして契りを結んだと思うと、夜が明けて夢が覚めた。これが夢でなく、現実であったならと思う気持ちから、心がせきたてられて、豊雄は朝食を食べるのも忘れて、わが家を浮かれ出た。と。
世の中、男と女からなりたっています。創世記第二章にあるように、・・・・そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。・・・・それで人はその父と母を離れて妻と結び合い、一体となるのである。人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。
『蛇性の婬』の最後はどうなったかと言うと。法海和尚という祈祷僧によって蛇の化身真女児は退治されるのですが、男が女の魔性によって自分を失ってしまうことはときに自然なことに思われもするのですが・・・・。
あだ心から妖魔真女児に魅入られた豊雄は、最後には、丈夫心(ますらおごころ)と犠牲心によって妖魔の魔力に耐え、生命を全うするのですが、嫁になった豊雄の妻・富子が病気になって死んでしまったのには残念です・・・・。
・『ヴィーナスについて』でしたが、現実の「裸」は、ヌードという言葉より裸体(らたい)と呼んだほうがしっくりくる私です。これは、日本語の持つ力からくるのでしょうか。裸体は生身の体であり、ヌードというのは、絵画や写真に現わされた虚構の世界のなかの「裸」ということで受け取る私なのです。
また、『ヴィーナスについて』のお話が、「雨月物語」のなかの『蛇性の婬』のお話になりましたが、ヴィーナスとは、肉体の美と性愛の神で、キューピッドとアイネアスの母。 ギリシャ神話のアフロディーテに相当するとあります。
ギリシアの詩人へシオドスによれば,ヴィーナスは海の抱から生まれ,帆立貝の貝殻にのって,ゼフユロスとタロリスの優しい風を受けてキュプロス島のパフオスに上陸したといいます・・・・。
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