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『太陽の画家 フィンセント・ファン・ゴッホ』
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ところで、ゴッホは、たくさん自画像を描いています。それら自画像のなかには狂気を孕んだかに思えるのもあり、その自画像の眼差しには後ずさりしたくなります。でもゴッホが描いた肖像画のなかの人物の眼差しの多くは、穏やかでやさしい感じがします。そう思うのは、私だけでしょうか。
肖像画とは、その人の姿、形をたんに描いたのでなく、その人が自然とともに生きている、勤労と休息の営みのなかから、育まれたその人の歴史のようなものが表現されたものなのだろう。そして、肖像画を描く作者の眼差しは、描かれるモデルへの慈しみでもあるのでしょう。
1887年『タンギー爺さん』
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「タンギー爺さんは、60歳はこえているだろう。丸い顔、やや濁った青い眼、大きな鼻とごましおの無精髯、大きな手、いかにも人がよくて無邪気な楽天家だ」
1888年『アルルの少女』
「ぼくは先日とても静かで、美しい娘を見た。灰色ブロンドの髪と灰色の眼をした娘で、淡いばら色の更紗模様のチョッキを着ていたが、それを通して堅くて小さな乳房が感じられた」
1889年『郵便配達夫ルーラン』
「かれはソクラテス型の男で、いささか酒好きという点でもそうなのだが、したがって血色もすごくよい。細君が子供を生んだが、ご本人はたいへんご満悦だった。そしてタンギー親爺のように熱烈な共和党びいきなのだ。いやはや、なんて打ってつけのドーミエ式モティーフだろうか!」
ゴッホには、そのほかに医師フェリクス・レーや有名なドクトル・ガッシェの肖像などがあります。そう、ゴッホ、最後の地、オーヴェルでは、ドクトル・ガッシェとの交友がありました。
1890年、6月4日、ゴッホは約束したとおり、ガッシェの肖像にとりかかった。白い帽子をかぶり、青い外套を着て、左手にジキタリスの枝をもっている。からだ全体を机にもたれるように、やや右に傾けて掛け、机の上の頬にあてた右手がそれを軽くささえている。表情は決して晴れやかなものではない。むしろゆううつそうである。
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だが、それからまもなく、7月27日の午後であった。オーヴェルの城の近くまで来たとき、彼はポケットからピストルを取り出し、自分の胸に向けて引き金を・・・・・・。
・続きは次回に・・・・。