日本海の荒波に削られた玄武岩の柱状節理が写真で見ると、どうしても現地でこの目で見たいと思っていた。
深く切れ込んだ湾のなかに遊覧船乗り場があった。時間の都合で遊覧船には乗れなかったが、海から見ると又異なった景観を味わえるのだろうと残念に思った。
少し離れた岩の上に海鳥が休んでいた。
ここへ来る途中にはたくさんのお土産屋があった。どの店で売っているものもみな同じようなものだったが、明らかに日本産のものではないきれいな小石の袋詰めを一つ買った。
東尋坊の由来をひもとくと、その地名はやはり東尋坊という坊さんがいた。東尋坊は手に負えないほどの悪さをするので仲間の坊さんが物見を名目にここへ連れ出して、宴会に過去づけて海へ突き落としてしまったという。すると一天にわかにかき曇り猛烈な嵐になったという。それを沈めるためにみんなで鎮魂の催しをした。そして東尋坊の名前を忘れないようにこの値を東尋坊と呼ぶことにしたという。
東尋坊から望める雄島は、長い橋を渡っていくことが出来る。この島はほぼ全体が原生林?で覆われている。一番高いところに神社があり、高樹齢の大木が生い茂っていた。島を一周する道があり、いろいろな景観を見ることが出来る。
筆者はこの後、信長に滅ぼされた朝倉城を見に行った。