この話は平成22年7月11日から一泊二日のバス旅行での出来事である。
私達一行43名(運転手2名・ガイド1名・添乗員1名を含む)は旅の二日目、前日の大雨で増水し、濁流が渦巻く大井川を右手に見ながら、SLの旅を一時間余り楽しみ12時30分頃に予定の観光を終えバスに乗り込み帰路についた。
車中での私の席は前から4番目右側、バスは途中のSAで適度なトイレ休憩をはさみながら高速道路を予定通りの行程で進んでいた。
車内ではビデオ鑑賞する人、背もたれに寄りかかり眠る人、旅の旅情に浸る人など平穏な時間が流れていた。
SAでの三回目の休憩を終えしばらく走った頃、私が何気なく後ろを振り返ると、後左座席に座っていた80歳前後と思われる老夫婦が目に留まった。
ご主人は背もたれに深くもたれかかり、奥さんがご主人の胸のあたりを摩り、額の汗を拭いている。
私は老夫婦のことが気にかかり、窓側に座っていた妻に声をかけた。
「おい!後ろの老夫婦、少し様子がおかしいじゃないか?」
妻の位置からは老夫婦の様子を窺い知ることはできないし、むろんのこと覗き込むような失礼なこともできない。
「そういえば、昨日の宴会の席でご主人が倒れられ、ホテルの人が部屋まで運んでいかれたようだったよ。だけど、今朝は元気そうにバスに乗られたし、お茶工場では三階までの急な階段も歩いて昇り降りして見学されていたよ!」
「そうか、体調が悪そうだがそれなら心配ないだろう」
私は少し気がかりではあったが、旅の疲れでも出たのだろうくらいに考えていた。
ところが最後のSAでの休憩直前、老夫婦の奥さんが添乗員にかけより、ご主人の急変を告げ事態は一変した。
後部座席のご主人を見ると、“パックリ”口をあけて座席に倒れ、顔は白く死人のようだ。
バスがSAにすべりこむようにして停車すると、ガイドさんが車内を見渡すように叫んだ。
「この中に、お医者さんか看護師さんはいらっしゃいませんか?」
今まで和やかだった車内は急にざわめいた。
すると、私の前席に座っていた40歳前後と思われる二人ずれの女性の一人が立ち上がった。
顔立ちは凛とし、細身で身長は160cmくらい、いかにも看護師さんらしき女性は、老人に近づくと抱えるようにして、首筋に指をあて脈をとった。
「脈がないみたい」
女性は囁くように呟くと、あわてる様子もなく周りの人にテキパキした口調で指示をした。
「通路の補助席を倒して! 救急車を呼んで! 誰か、SAからAEDを借りてきてください!」
周りの人たちが“バタン、バタン”補助席を倒し老人を仰向けに寝かせると、女性は老人の服を脱がせ、運転手と協力して人工呼吸を始めた。
女性が1・2・3・4・・・・・10と胸部を圧迫する。
運転手が“フー、フー”口移しで息を2回吹き込む。
人工呼吸は1~2分続けられAEDが届いた。
女性は電極パットを老人の胸に装着しAEDの電源を入れる。
・・・・・・・・・・・・・
「心電図解析中です」
AEDから流れる機械的な声
・・・・・・・・・・・・・
「ショックは不要です」
またしても流れる女性の機械的な声。
再度、同じ作業を繰り返すが結果は変わらない。
再び人工呼吸に切り替える、女性が胸部を圧迫、運転が口移しで息を吹き込む。
運転手が息を吹き込み、女性が胸部を圧迫すると“ググー、ググー”吹き込んだ息が老人の口からもれる異様な声がし、女性の額からは汗が滴り落ちている。
乗客たちはこの様子をかたずをのんで見守る。
10分ほどたった頃、“ピィーポー、ピィーポー”赤色灯をつけた救急車の姿が見え、車内に“ほっと”した空気が流れた。
救急隊員は車内にタンカーを持って乗り込んできたが通路が狭く使えない、そこで補助席をすべて倒し、老人を補助席の上を滑らすようにして車外に運び出した。
私が二三人の乗客とともに老夫婦の荷物を提げ車外に出ると、救急隊員は老人をタンカー乗せ、酸素吸入の応急処置を行いながら老人に大声で声をかけたが応答はない。
他の救急隊員が老婦人に、車内での老人の様子などの聞き取りを行っている。
「奥さん、ご主人の容態はいつ頃からおかしくなられたのですか? 持病はありましたか? 今まで病気をされたことは? 年齢は何歳ですか?・・・」
救急隊員のテキパキとした質問に対し、老婦人は多少おどおどした様子を見せながらも気丈に答えている。
「年は78歳です。10年ぐらい前に脳梗塞で倒れた、癌の手術もいています、・・・」
それから2~3分過ぎて一回り大きな救急車が到着し、救急隊員が車から飛び降りるなり
「搬送先は○○病院が受け入れをOKしてくれた!」
救急隊員たちは、タンカーの老人を素早く救急車に乗せ老婦人を同乗させると、サイレンをけたたましく鳴らし、赤色灯をつけながら病院へ搬送して行った。
私達がバスに戻り席に着くと、車内には重苦しい空気が流れ、ひそひそ話も囁かれていた。
「私まったく気がつかなかったわ、何度も旅行しちょうけどこんなこと初めて!」
「あのおじいさん、もう助からないかもしれないなー」
「なぜ、もっと早く言われなかったのかなー」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
私は、なんとか命だけはとりとめていただきたいと願いつつも、心の奥ではもう助からないであろうという強い思いにかられていた。
あたりがすっかり暗闇につつまれる中を、バスは鉄の塊のような無口な乗客を乗せ、私達の降りるPAに予定到着時刻を1時間ほど遅れ午後9時30分に到着した。
停車したバスの車内から振り返ると重苦しい空気はまだ漂っていたが、旅の仲間に別れを告げ、マイカーに乗りかえ家路へと向かった。
そして翌々日の新聞を開くと、死亡欄に○○市○○○○78歳と記されていた。
「ああー、やっぱりだめだったか」
そういう思いに浸っていると、あの時の老夫婦、汗を流しながら一生懸命に人工呼吸をされていた女性看護師さん、そして運転手さんの姿が瞼に浮かんだ。
何年も何年も病床で苦しんでいる人、余命を告げられながら生きている人、旅を共にした老人のように突然亡くなられる人、この旅は「人の生きざま」「人の死にざま」などについて深く考えさせられる貴重なものであった。
【この出来事をブログに載せるべきか慎むべきか、迷いながらひと月が過ぎてしまったが、私の歴史の貴重な一齣として書き残すこととした】
私達一行43名(運転手2名・ガイド1名・添乗員1名を含む)は旅の二日目、前日の大雨で増水し、濁流が渦巻く大井川を右手に見ながら、SLの旅を一時間余り楽しみ12時30分頃に予定の観光を終えバスに乗り込み帰路についた。
車中での私の席は前から4番目右側、バスは途中のSAで適度なトイレ休憩をはさみながら高速道路を予定通りの行程で進んでいた。
車内ではビデオ鑑賞する人、背もたれに寄りかかり眠る人、旅の旅情に浸る人など平穏な時間が流れていた。
SAでの三回目の休憩を終えしばらく走った頃、私が何気なく後ろを振り返ると、後左座席に座っていた80歳前後と思われる老夫婦が目に留まった。
ご主人は背もたれに深くもたれかかり、奥さんがご主人の胸のあたりを摩り、額の汗を拭いている。
私は老夫婦のことが気にかかり、窓側に座っていた妻に声をかけた。
「おい!後ろの老夫婦、少し様子がおかしいじゃないか?」
妻の位置からは老夫婦の様子を窺い知ることはできないし、むろんのこと覗き込むような失礼なこともできない。
「そういえば、昨日の宴会の席でご主人が倒れられ、ホテルの人が部屋まで運んでいかれたようだったよ。だけど、今朝は元気そうにバスに乗られたし、お茶工場では三階までの急な階段も歩いて昇り降りして見学されていたよ!」
「そうか、体調が悪そうだがそれなら心配ないだろう」
私は少し気がかりではあったが、旅の疲れでも出たのだろうくらいに考えていた。
ところが最後のSAでの休憩直前、老夫婦の奥さんが添乗員にかけより、ご主人の急変を告げ事態は一変した。
後部座席のご主人を見ると、“パックリ”口をあけて座席に倒れ、顔は白く死人のようだ。
バスがSAにすべりこむようにして停車すると、ガイドさんが車内を見渡すように叫んだ。
「この中に、お医者さんか看護師さんはいらっしゃいませんか?」
今まで和やかだった車内は急にざわめいた。
すると、私の前席に座っていた40歳前後と思われる二人ずれの女性の一人が立ち上がった。
顔立ちは凛とし、細身で身長は160cmくらい、いかにも看護師さんらしき女性は、老人に近づくと抱えるようにして、首筋に指をあて脈をとった。
「脈がないみたい」
女性は囁くように呟くと、あわてる様子もなく周りの人にテキパキした口調で指示をした。
「通路の補助席を倒して! 救急車を呼んで! 誰か、SAからAEDを借りてきてください!」
周りの人たちが“バタン、バタン”補助席を倒し老人を仰向けに寝かせると、女性は老人の服を脱がせ、運転手と協力して人工呼吸を始めた。
女性が1・2・3・4・・・・・10と胸部を圧迫する。
運転手が“フー、フー”口移しで息を2回吹き込む。
人工呼吸は1~2分続けられAEDが届いた。
女性は電極パットを老人の胸に装着しAEDの電源を入れる。
・・・・・・・・・・・・・
「心電図解析中です」
AEDから流れる機械的な声
・・・・・・・・・・・・・
「ショックは不要です」
またしても流れる女性の機械的な声。
再度、同じ作業を繰り返すが結果は変わらない。
再び人工呼吸に切り替える、女性が胸部を圧迫、運転が口移しで息を吹き込む。
運転手が息を吹き込み、女性が胸部を圧迫すると“ググー、ググー”吹き込んだ息が老人の口からもれる異様な声がし、女性の額からは汗が滴り落ちている。
乗客たちはこの様子をかたずをのんで見守る。
10分ほどたった頃、“ピィーポー、ピィーポー”赤色灯をつけた救急車の姿が見え、車内に“ほっと”した空気が流れた。
救急隊員は車内にタンカーを持って乗り込んできたが通路が狭く使えない、そこで補助席をすべて倒し、老人を補助席の上を滑らすようにして車外に運び出した。
私が二三人の乗客とともに老夫婦の荷物を提げ車外に出ると、救急隊員は老人をタンカー乗せ、酸素吸入の応急処置を行いながら老人に大声で声をかけたが応答はない。
他の救急隊員が老婦人に、車内での老人の様子などの聞き取りを行っている。
「奥さん、ご主人の容態はいつ頃からおかしくなられたのですか? 持病はありましたか? 今まで病気をされたことは? 年齢は何歳ですか?・・・」
救急隊員のテキパキとした質問に対し、老婦人は多少おどおどした様子を見せながらも気丈に答えている。
「年は78歳です。10年ぐらい前に脳梗塞で倒れた、癌の手術もいています、・・・」
それから2~3分過ぎて一回り大きな救急車が到着し、救急隊員が車から飛び降りるなり
「搬送先は○○病院が受け入れをOKしてくれた!」
救急隊員たちは、タンカーの老人を素早く救急車に乗せ老婦人を同乗させると、サイレンをけたたましく鳴らし、赤色灯をつけながら病院へ搬送して行った。
私達がバスに戻り席に着くと、車内には重苦しい空気が流れ、ひそひそ話も囁かれていた。
「私まったく気がつかなかったわ、何度も旅行しちょうけどこんなこと初めて!」
「あのおじいさん、もう助からないかもしれないなー」
「なぜ、もっと早く言われなかったのかなー」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
私は、なんとか命だけはとりとめていただきたいと願いつつも、心の奥ではもう助からないであろうという強い思いにかられていた。
あたりがすっかり暗闇につつまれる中を、バスは鉄の塊のような無口な乗客を乗せ、私達の降りるPAに予定到着時刻を1時間ほど遅れ午後9時30分に到着した。
停車したバスの車内から振り返ると重苦しい空気はまだ漂っていたが、旅の仲間に別れを告げ、マイカーに乗りかえ家路へと向かった。
そして翌々日の新聞を開くと、死亡欄に○○市○○○○78歳と記されていた。
「ああー、やっぱりだめだったか」
そういう思いに浸っていると、あの時の老夫婦、汗を流しながら一生懸命に人工呼吸をされていた女性看護師さん、そして運転手さんの姿が瞼に浮かんだ。
何年も何年も病床で苦しんでいる人、余命を告げられながら生きている人、旅を共にした老人のように突然亡くなられる人、この旅は「人の生きざま」「人の死にざま」などについて深く考えさせられる貴重なものであった。
【この出来事をブログに載せるべきか慎むべきか、迷いながらひと月が過ぎてしまったが、私の歴史の貴重な一齣として書き残すこととした】
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