こんにちは。ぱぱいやです。
ポール・ラッシュさんのエピソードを一つ紹介したいと思います。
清泉寮のフロントにこのステンドグラスがあるのご存じでしょうか?
殆ど日本語を話さなかったポール・ラッシュさんが、賛美歌405番だけは日本語で歌ったと言われています。この賛美歌は「また会う日まで」を復唱するそうです。ポールさんは1年の約半分をアメリカでの募金活動に費やしていました。 アメリカへ行くポールさんを清里の人々はひょっとしてもう帰ってこないのではないか、そんな想いが頭をよぎり、清里駅でみなが涙を流した、といいます。【ポール・ラッシュ100の言葉より抜粋】
また、清泉寮の敷地を歩いているとポールさんを偲ぶところ、昔の清泉寮を感じるところが幾つもあります。
例えば清里駅から歩いて入口に立つ門柱にもポー,ルさんの好きだった旧約聖書詩編121「われ山に向かいて目をあげん、我が助けはいずこより来るべきぞ」と刻まれていたり、県立ふれあいセンター入口には初代清泉寮の西門も石柱が残っていたり…。
コナシ、ライラック、ツツジなど咲き乱れたこの季節、長い坂道を登りつめた清泉寮本館前ロータリーの石垣に腰かけて、またはポールさんの銅像に並んで富士山を遠くに望みながら、ポールさんが愛してやまなかった清里に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。
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