6時から,BSを見ました。
ところが,下の子から
「サザエさん見たい」
と言われ,6時半でチャンネルを一度譲りました。
でもって,録画していたので,残りを後で見ることに・・・。
のっけから,おねいさん出てきたので色めき立ちましたが,回想でした・・・(泣)。
あっさり縁談と家督相続の話でしたね。
確かに,永禄10(1567)年に,氏職は官兵衛に家督を譲っています。
でも,それが氏職に将軍からの書状(せめて御教書,若しくは御安書と言って欲しかった・・・)が来たので,政職から疑われて・・・という設定のようです・・・。
寡聞にして存じませんが,そのような史実があるのかどうか,史料等はあるのか,聞いてみたい気がします・・・。
確かに,俄出頭人である氏職への風当たりは強かったことでしょう。
しかし,姫路城代にまでした氏職を,職隆は疑ったのかどうか,想像するしか有りません。
只,後に小寺家の帰趨を官兵衛に任せた政職ですから(最終的にそれを反故にしましたが),多分,氏職-官兵衛父子に対する信頼は,この時期は厚かったと予想されます。
永禄10年当時,氏職は44歳。
ま,当時の年齢としては,隠居してもおかしくはない年と思います。
で,尾張の信長に,話が飛びました。
ぐうたらしている秀吉を,弟秀長がせっつきます。
で,西美濃三人衆を籠絡したとの報が。
でかした猿・・・ということで,あっという間に落ちる城。
こんな城は,叩き壊せ~と,意気上がる江口信長。
え゛,どこの城落ちたの・・・と,思わず聞いた私。
どーやら,ビールの飲み過ぎで放尿に行っているうちに,稲葉山城落ちた模様です・・・。せめて墨俣一夜城や,川並衆が木曽川の上流から筏を組んで材木を運んだエピソードは,語って欲しかったような気がします。
少なくても信長は,美濃攻略という重大な局面で,奥方にものを言わせるような男ではないでしょうし,
「岐阜と改める」
とか,
「天下布武を印とする」
なんて言わないと思います。
信長とは,もっと苛烈な男の筈です。
自分で決めたことは,何も言わず実行していくのではないでしょうか・・・。
次回で,あっさり上洛してしまうような気配ですが,せめて観音寺城と箕作城攻防戦ぐらいは,語って欲しいのですが・・・。
そうそう,
「織田尾張守信長です」
と,言っていましたが,如何に律令制の名残ともいうべき官制が有名無実となっていたとはいえ,信長は尾張守を称したことってあったのでしょうか。
上総介ではないのか・・・と,思わず突っ込みを・・・。
でもって,木の上で泣いているがきんちょを助ける官兵衛。
完全に見え見えの展開です。
絶対,ここでおねいさん出てくる・・・と思ったら,予想通りでした。
櫛橋氏は,やはり守護である赤松氏に仕えた旧家で,小寺政職の信頼も厚かったのでしょう。
櫛橋左京進は,果たして官兵衛を嫌っていたのかどうか,想像の域を出ませんが,主命は絶対であり,婚礼を断るなどということはあり得ないでしょう。
後に,櫛橋父子は別所長治に付いて,官兵衛と敵対しますが,そのあたりの複線として,官兵衛に対する嫌悪があったということでしたら,ちょっとあざとい設定ではないかと思います・・・。
因みに,どうでも良いですが,酒井若菜嬢と中谷美紀嬢ですが,中谷嬢の方が年上では・・・??
・・・ということで,う~ん・・・,首をかしげてしまいました。
ま,面白いから良いのですが・・・
見続ける自信は無くなりつつありますが,半兵衛(今回出番無し。浅井家に??)との接点までは見ようかな・・・と・・・。
それにしても,官兵衛くん,婚礼初夜のお床入りを前に,昔の彼女のことなんか言うんじゃねーよ・・・。
元カノの思い出は,自分の腹にしまって,墓まで持って行けよ・・・と思ったのは,私だけでしょうか・・・。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます