小学校から浪人の頃まではよく読書していたが、オジサンと呼ばれる歳になってからは読書がぐんと減った。植物図鑑、動物図鑑、パソコン関連、一昨年からの農業関連などの書籍以外ほとんど読むことは無かった。しかし、今年は読書している。
貧乏なので本は買わない。友人から頂いたものもあるが、ほとんどは図書館から借りている。幸いにも、今住んでいるアパートから宜野湾市立図書館が近い。徒歩5分とかからない。蔵書もまあまあ充実している。平均すると週に1回以上は通っている。
6月に入ってからは沖縄戦関連を多く読んでいる。関連は、在日米軍の組織に関するもの、沖縄の米軍基地に関するもの、基地に配備されている武器に関するもの、少々飛躍して、沖縄の自立に関するもの、尖閣諸島問題に関するものまで含んでいる。
本だけでは無く、宜野湾市立図書館にはDVDやビデオテープも多く置いてあり、それらも頻繁に借りている。ウチナーグチ(沖縄口)を覚えるために沖縄芝居のビデオもあるが、ここ最近はやはり、沖縄戦関連がほとんどとなっている。
沖縄戦に直接は関係ないと思われるビデオを先日借りた。直接は関係ないが、終戦後の沖縄、占領下にあった沖縄をアメリカがどう捉えていたかについて、参考になるかもしれないと思ったので借りた。映画のタイトルは『八月十五夜の茶屋』。
『八月十五夜の茶屋』は1956年公開のアメリカ映画。舞台は1946年の沖縄、アメリカ軍政下で、アメリカ軍人が沖縄人に民主主義を教育し、理解させ、実践させようとする間の交流を描き、その顛末にユーモアを散りばめた喜劇映画。
中学生の頃、私は映画をよく観た。邦画は少なくほとんどが洋画。当時、名作と評価されていた映画はリバイバル上映も含めて多く観た。名作なのでアメリカ映画でけで無くスペイン、イギリス、イタリア、フランス産の映画もあった。しかしやはり、アメリカ映画が多かったと思う。特に西部劇が好きで、西部劇は名作も駄作も観た。
どの映画がそうであったかははっきり覚えていないが、インディアンを頭の皮を剥ぐ残忍な悪役として描いているものもあり、逆に、インディアンを同じ人間であると認識し、先住民として敬意のある扱いをしているような描き方をしている映画もあった。
先住民に敬意を持つ、人間としての尊厳を認める。それは弱肉強食法則とは違うアメリカの良心だと思った。キリスト教の影響かな?とも考えたが、いくつかのアメリカ映画にジャスティス(justice)をテーマにしたものがあり、正義であることがアメリカの良心であろうと判断したわけだ。あー、確かに、ジョン・ウェインはジャスティスだ。
『八月十五夜の茶屋』は喜劇とされているが、私は、笑う所はあまり無く、それよりアメリカの良心が十分に描かれた映画として鑑賞した。上官のパーディー大佐はともかく、実際に沖縄人と接するフィズビー大尉(主人公)もマクリーン大尉も、沖縄人を自分らと同じ人間として接していた。むしろ、「アメリカ人よりこの人達が人間らしいのではないか」と思っているような雰囲気もあった。沖縄人がウチナーグチを話さない、マーロン・ブランドがあの顔で沖縄人役、しかも片言日本語、沖縄のあの時代に倭国風の芸者が登場するなど変なのもあったが、沖縄人としては大変嬉しくなる映画だった。
記:2012.6.29 島乃ガジ丸