ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

アメリカの良心『八月十五夜の茶屋』

2012年07月06日 | 通信-音楽・映画

 小学校から浪人の頃まではよく読書していたが、オジサンと呼ばれる歳になってからは読書がぐんと減った。植物図鑑、動物図鑑、パソコン関連、一昨年からの農業関連などの書籍以外ほとんど読むことは無かった。しかし、今年は読書している。
 貧乏なので本は買わない。友人から頂いたものもあるが、ほとんどは図書館から借りている。幸いにも、今住んでいるアパートから宜野湾市立図書館が近い。徒歩5分とかからない。蔵書もまあまあ充実している。平均すると週に1回以上は通っている。
 6月に入ってからは沖縄戦関連を多く読んでいる。関連は、在日米軍の組織に関するもの、沖縄の米軍基地に関するもの、基地に配備されている武器に関するもの、少々飛躍して、沖縄の自立に関するもの、尖閣諸島問題に関するものまで含んでいる。
 本だけでは無く、宜野湾市立図書館にはDVDやビデオテープも多く置いてあり、それらも頻繁に借りている。ウチナーグチ(沖縄口)を覚えるために沖縄芝居のビデオもあるが、ここ最近はやはり、沖縄戦関連がほとんどとなっている。

  沖縄戦に直接は関係ないと思われるビデオを先日借りた。直接は関係ないが、終戦後の沖縄、占領下にあった沖縄をアメリカがどう捉えていたかについて、参考になるかもしれないと思ったので借りた。映画のタイトルは『八月十五夜の茶屋』。
 『八月十五夜の茶屋』は1956年公開のアメリカ映画。舞台は1946年の沖縄、アメリカ軍政下で、アメリカ軍人が沖縄人に民主主義を教育し、理解させ、実践させようとする間の交流を描き、その顛末にユーモアを散りばめた喜劇映画。

 中学生の頃、私は映画をよく観た。邦画は少なくほとんどが洋画。当時、名作と評価されていた映画はリバイバル上映も含めて多く観た。名作なのでアメリカ映画でけで無くスペイン、イギリス、イタリア、フランス産の映画もあった。しかしやはり、アメリカ映画が多かったと思う。特に西部劇が好きで、西部劇は名作も駄作も観た。
 どの映画がそうであったかははっきり覚えていないが、インディアンを頭の皮を剥ぐ残忍な悪役として描いているものもあり、逆に、インディアンを同じ人間であると認識し、先住民として敬意のある扱いをしているような描き方をしている映画もあった。
  先住民に敬意を持つ、人間としての尊厳を認める。それは弱肉強食法則とは違うアメリカの良心だと思った。キリスト教の影響かな?とも考えたが、いくつかのアメリカ映画にジャスティス(justice)をテーマにしたものがあり、正義であることがアメリカの良心であろうと判断したわけだ。あー、確かに、ジョン・ウェインはジャスティスだ。

 『八月十五夜の茶屋』は喜劇とされているが、私は、笑う所はあまり無く、それよりアメリカの良心が十分に描かれた映画として鑑賞した。上官のパーディー大佐はともかく、実際に沖縄人と接するフィズビー大尉(主人公)もマクリーン大尉も、沖縄人を自分らと同じ人間として接していた。むしろ、「アメリカ人よりこの人達が人間らしいのではないか」と思っているような雰囲気もあった。沖縄人がウチナーグチを話さない、マーロン・ブランドがあの顔で沖縄人役、しかも片言日本語、沖縄のあの時代に倭国風の芸者が登場するなど変なのもあったが、沖縄人としては大変嬉しくなる映画だった。 
          
          

 記:2012.6.29 島乃ガジ丸


映画『ラブ沖縄』

2012年06月08日 | 通信-音楽・映画

 先々週土曜日(5月26日)、映画を観に行った。いつもの桜坂劇場。これはぜひ観ておかなくちゃあと思っていた映画、タイトルは『LOVE沖縄』。
 タイトルから恋愛ものか、沖縄観光キャンペーンか沖縄賛歌の映画と想像しそうだが、そうでは無く、反基地闘争を映したドキュメンタリー映画。普天間代替基地建設反対運動をしている辺野古と、ヘリパッド建設反対運動をしている高江を題材とした映画。

  映画が始まってまもなく「国は何てことしやがる!」と腹が立った。私は、自分で言うのも何だが、温厚である。時々腹を立てることもあるが、立てた腹は腹の内に収め、それを広げることはしない。腹を立てること自体が楽しく無いし、ストレスになる。残り少ない人生(平均寿命を生きたとしても残りはせいぜい20年)楽しく生きていたい。
 腹が立った時に私は、すぐにその元凶を忘れるようにするか、その元凶がそこに存在していたとしても知らんふりをする。つまり、元凶を無視することにしている。腹を立てるのはストレスになる、ストレスは健康に害を及ぼすことになるから。
 ところが『LOVE沖縄』、観て腹が立ったが、その腹立ちの元を忘れ去ることができない。無視することがなかなかできなかった。観終わってもムカっとした気分が残った。ということで、その映画、私にとって精神衛生上悪いものとなった。

 映画の最初に米軍基地反対闘争の大まかな経緯がテロップで流された。
 1995年9月、沖縄米兵少女暴行事件、同年10月に事件に抗議する大規模(参加者が8万人超)な県民総決起大会、などが順次現れる。それらのことは私も当時、新聞やテレビで観て知っている。しかし、米兵少女暴行事件の説明を読み、あらためてその非道ぶりに腹が立った。少女はわずか12歳だったのだ。それを3人で強姦したのだ。

 高江のヘリパッド建設反対闘争の現場では、建設工事に従事する作業員と反対派の人達が掴み合い、罵り合っている。それに対しても大いに腹が立った。
  私も肉体労働者であった(今でもたまに現場へ出る)し、肉体労働が辛いことを知っているし、肉体労働者の仲間も多くいる。なので、私の気持ちは作業員たちの方へ肩入れしたくなる。「ただでさえ難儀な仕事だ、邪魔するんじゃ無ぇ」と思う。もちろん、私は新たな基地建設も基地強化も嫌だと思っているので、作業が進むのを阻止したいという気持ちも分かる。どちらも善良なウチナーンチュだ、「ウチナーンチュ同士で喧嘩させるんじゃ無ぇ!」と強く思い、「国は何てことしやがる!」と腹が立ったのだ。
 「防衛施設局の役人達が楯にならんかい!反対派の一人がその楯を潜り抜けたら作業員を一人減らすというルールにして、作業員がいなくなったら作業を中止して引き上げることにしたら良かろう。そうすれば、掴み合うのも罵り合うのも防衛施設局の役人達の仕事になるじゃないか!」と私はそのシーンを観ながら考えていた。

 腹を立てながらも、未来の沖縄のために頑張っている人達のことを思い、辺野古と高江の頑張っている人達にお菓子の一折も持って行って激励し、感謝したくなった。そうでもしないとこの腹立ちは収まらないに違いない、と思って、先週訪問した。
          
          

 記:2012.6.8 島乃ガジ丸


愛おしいもの、古女房

2012年04月06日 | 通信-音楽・映画

 誰も住む人のいない実家へ概ね週に1回行き、家の掃除、母の持ち物、父の持ち物などの整理をやっている。「自分たちの物は自分たちで整理してくれ」と頼んであった姉やその夫の持ち物がまったく整理されていないのに「糞ったれ!」と思いつつ、それらも整理する。母のものか、父のものか、姉のものか、義兄のものか不明のものも多くあり、姉や義兄のものは勝手に処分できないので整理できない。「糞ったれ!」と思う。
 「糞ったれ!」と思うモノの中にたくさんのビデオテープがあった。明らかに父や母のものだと思われるものは処分したが、想い出のビデオかもしれない誰かが録画したようなタイトルのテープはどう処理したらいいのか悩む。初日は悩んで終わり。
 二日目、良いことを思いついた。映画などビデオ屋から購入したテープは残して、テレビ番組など自分たちで録画したと思われるテープは処分することにした。「古いビデオテープはカビが生えていたから」と言い訳ができる。いちいち一つずつカビが生えているかどうか確認したわけでは無い。いちいち一つずつ再生してみたわけでも無い。たくさんのテープ、いちいち見ていたら時間がかかる。ただ働きなのだ、糞ったれ!

 ビデオ屋から購入したテープと思われるものはハリウッド映画がほとんどであったが、邦画も2、3あった。その中に気になる1本を見つけた。『ホタル』。
 私の大好きな高倉健が主演ということで大いに気になった。「どうする?」、「観たいなぁ」、「家にはビデオデッキもテレビも無ぇぜ」、「実家からテレビとデッキを持って行こう」、「そこまでするか?」、「高倉健だぜ!」、「そうだな」などと、しばらく自問自答して、デッキとテレビとビデオテープを持ち帰った。
 「映画は映画館で観るに限る」と常々思っている私だが、良い映画は家で観ても良い映画に変わり無かった。タバコ吸うのも忘れるくらい、最初から私は引き込まれた。

 『ホタル』は2001年の公開作品。主演女優は田中裕子、出演は他に小林稔侍、奈良岡朋子など芸達者達が脇を固めている。監督は降旗康男。降旗康男という監督を私は知らなかった。もっとも、私が知っている映画監督は5本の指で数えられるほどしかいないので、降旗さんが無名というわけでは全然無い。ネットで調べると、『鉄道員』、『あ・うん』などあり、いずれも私は観ている。監督の名前まで覚えていなかっただけだ。
  映画は夫婦の絆を描きながら、戦争の悲しみを物語る。高倉健扮する主人公は特攻隊の生き残りという設定である。死んだ者も生き残った者も悲しい悲惨な話。
 私は最初からナダ(涙)ウルウル状態。しかしそれは、特攻隊の悲惨のせいでは無い。高倉健扮する夫が田中裕子扮する女房を気遣う眼差しと、それに感謝するかのように夫を見つめるシーンでナダウルウルとなっていた。「心通ってるなぁあんたたち」と。

 こんな女房であれば結婚したいと、いやいや、こんな夫婦なら結婚したいと思った。女房も心優しく、一途で可愛いらしいのだが、夫が、高倉健がまさしくそうであろうと思われるような心の広い、心の深い人物であった。そうなのである。良い結婚生活を送るには自らが良い夫でなければならないのだ。だぜ、M(会うたんびに女房の悪口を言っている友人)よ。・・・なんて他人のことは言えない。無理だろうなぁ私も。
          

 記:2012.4.6 島乃ガジ丸


いつ読書する?

2012年03月02日 | 通信-音楽・映画

 小学校から中学にかけてはよく読書した。夏目漱石、太宰治、芥川龍之介などといった有名どころの文芸作品などを読んでいた。高校から浪人時代になると遠藤周作、北杜夫といった芥川受賞作家から星新一、筒井康隆などSFまで片っ端から読んだ。
 社会人になってからは仕事関連の資料を読むことが多くなったが、それでもたまには文学に浸ることもあった。であったのだが、40歳過ぎて老眼が入ってきた頃から集中して読書するということが面倒になって、文芸作品に限らず、仕事上必要な資料とか、ガジ丸HPに必要な図鑑、辞書以外はほとんど読まなくなった。

 今年はしかし、読んでいる。1月、2月の二ヶ月間で既に友人から借りた6冊、図書館から借りた9冊の計15冊を読んでいる。内容はほぼ「有機農業、自然農法」関連、「食の安全」関連、「心理療法」関連など。「有機農業、自然農法」はこれから私が目指す生き方ということで、「食の安全」は「有機農業、自然農法」を勉強しているうちに派生した関心事、「心理療法」は去年12月に飲み屋で遭遇した気功の達人の技を見て、「気とは何だ?人間の体や心と何か深い繋がりがあるのではないか?」と思って。
 埼玉に住む友人Rは、たびたび沖縄に遊びにやってくるが、彼は出版社に勤めており、自分の会社が出版したもので私が興味を持ちそうな本をお土産として持ってきたり、あるいは郵送で送ってきたりする。Rから贈られた本は今、約20冊が家の本棚にあり、約10冊が実家に置かれている。その30冊のどれ一つとして私はまともに読んでいない。何冊かをパラパラと捲っただけである。せっかくのRの親切だ、いつかは読もうと思っているが、Rの30冊は今の私の関心事ではないため「いつか」がなかなか来ない。

 今年はまた、DVDもよく観ている。テレビを観なくなって7ヶ月が過ぎたが、音楽とラジオで十分満足していた。退屈な時間はちっとも無かった。であったが、本を借りるために通っている宜野湾市立図書館はDVDも貸してくれる。そのコーナーを覗くと、ガジ丸HPに役立つ動植物関連、今関心を持っている食関連があり、それらを借りた。食関連がなかなか面白くてそのシリーズを観ている。第4巻まで観終わっている。
 DVDコーナーには数は少ない(DVDそのものが少ない、ビデオテープはその10倍位ある)が映画も置いてある。邦画もある。ハリウッド映画に興味は無いが、邦画には好みのものが見つかる可能性は高い。2月の初め『夕凪の街、桜の国』を借りた。広島の原爆を題材にした映画、静かに反戦を語っている良い作品だった。 

 先週も邦画を借りた。これは表紙の主演男優らしき男が岸辺一徳だったので、「ほう、あの名バイプレーヤーが主役か?」と興味を引かれたから。岸辺一徳はいろんな空気を出せる名優だと私は感じている。映画のタイトルは『いつか読書する日』。
 『いつか読書する日』は名作だと思った。いろんな事象がそれぞれ独立して起こり、独立して観客の関心を引く。主演の田中裕子は淡々と日常を生きているが、ある事象をきっかけとして昔の恋人岸辺一徳と声を交わし、別の事象をきっかけに二人は結ばれる。
 良い映画で内容も理解しやすかったが、ただ一つ、題名の「いつか読書する日」が何を意味しているのかが解らなかった。田中裕子は何を読書するのか不明のままだった。
          

 記:2012.3.2 島乃ガジ丸


平和な音楽

2011年10月07日 | 通信-音楽・映画

 例えば、隣村と諍いがあり、戦争状態になったとする。二つの村は互いに激しく憎しみ合って、もはやルール無視の状態だったとする。ルール無視なので、飯食っている時、雲子している時も襲われる。二十四時間襲われる。眠ることもできない。
 そこで、もしも私がいずれかの村の有力者であったとしたら、
 「なぁ、夜10時から朝8時の間は互いに襲わないようにしようぜ。今のままだとお互いに睡眠不足で衰弱死してしまう。どうせ死ぬなら切られて死のうぜ。」と相手の村に提案する。ゆっくり眠りたいというのは相手も同じなので、話はきっと成立する。

 私も若い頃は、例えば恋に落ちた時などに「眠れない夜」なんてのがあったかもしれないが、もはや記憶にも無い。オジサンとなった今は、泡盛の3、4杯も飲めばすぐに眠れる。休肝日の火曜日水曜日になかなか寝付けないということがあったりするが、「眠れなければ眠らなければいいさ」と余裕があるので、そのうち眠っている。
 その余裕は、「今日眠れなければ明日に回せばいいさ」といった余裕。夜襲ってくる敵がいないのでそういった余裕も生まれる。日本が平和であるというお陰である。日本の社会と政治に感謝せねばなるまい。「ぐっすり睡眠」ほどの幸せは他に無い。

 「ぐっすり」まではいかなくとも、昼間の「まどろむ」や「うとうとする」も大変気持の良いものだ。私には昼寝の習慣は無いが、昼飯食った後、午後1時半から2時頃になると、職場でパソコンを操作しながら気絶している時がある。仕事中なので寝てはいけないと思いつつ強烈な睡魔に襲われて、抵抗むなしくたいていは負けているのだ。
 ただ、その時の眠りはあまり気持ち良いものでは無い。罪悪感があるし、睡魔に抵抗している間の気分が良くない。昼間たっぷり肉体労働をして、たくさん汗をかいて、シャワーを浴びて、ビールを口の前まで持って行って、それを我慢しているような気分。「仕事中に寝るとは何事だ!」と社長に怒鳴られ、「減給だ!」となる心配がなければ、横になって、30分でもいいからゆっくり眠りたい。枕を高くして眠りたい。

  コンサートやライブを聴きに行って「演奏中に眠るとは何事だ!」と怒鳴られることはたぶん無い。演奏中に大きな鼾をかいている人が後ろの席にいて、とても迷惑に感じたことはあるが、静かに寝ている分には演奏者からも周囲の観客からも怒鳴られることは無かろう。演奏中に鼾をかくほど深く眠った経験は、私には無い。深く眠った経験は無いが、まどろむことはたびたびある。その時のまどろみはとても気持ちいい。
 そんな「まどろみ」、最近のコンサートやライブでは3つある。数年前のEPOのコンサート、去年のアイヌフェスティバルでのアイヌ音楽、そして、先月(2011年9月)29日に行われた琉球筝曲の演奏会での琉球古典音楽。

 EPOもアイヌも琉球古典も音楽としてのジャンルはそれぞれ異なるが、その質は、私にとって同様のものであった。いずれも「まどろみ」音楽であった。とても心地の良い時間を頂いた。枕を高くして体を弛緩させることのできた時間、平和で無ければ味わえない時間だ。したがって、「まどろみ」音楽は「平和な音楽」だと言えよう。
          

 記:2011.10.7 島乃ガジ丸