ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

神が傍にいた頃

2012年11月02日 | 通信-音楽・映画

 10月23日が期限の2枚と10月末日が期限の1枚計3枚の映画招待券があった。いずれも私好みの映画を多く上映している桜坂劇場のもの。その内の1枚を知人のIさんにあげ、残る2枚の内の1枚は21日に使い、『ニッポンの嘘』を観た。そして、今週月曜日(29日)に最後の1枚を使って、『スケッチ・オブ・ミャーク』を観た。
 『スケッチ・オブ・ミャーク』は宮古諸島に口伝で残されている神への祈りを歌う古謡と、それが意味するものは何ぞや?を主題としたドキュメンタリー映画。

 私の母は信心深い人であった。我が家には仏壇があったので、その仏事については、盆正月他、どんな小さなことも忘れず母は心を込めて丁寧に行い、沖縄の伝統的民間宗教ともいえる各種の神事においても何一つ忘れること無く行っていた。
 そんな母親の血をまったく受け継いでいないかのように私は罰当りの不信心者である。不信心者はそれでも正月には実家へ行き、供え物をし、線香を点てる。清明祭には墓掃除をし、供え物をし、線香を点てる。旧暦の七夕にも墓掃除へ行く。旧盆にも実家へ行き、供え物をし、線香を点てる。父、母の命日にも実家へ行き、父の好きだったもの、母の好きだったものを供え、線香を点てる。それだけでは無い。毎月(旧暦の)1日、15日に行う神事もほぼ欠かさず実家へ行って、茶を供え、線香を点てている。
 「なんだ、信心深いじゃねーか」と思われるかもしれないが、信心からでは無い。むしろ「わざわざ実家まで行って」を面倒臭いと思っている。母が丁寧にやっていた事を、母亡きあとは父が欠かさずやっていた事を、家に仏壇がある限りはやっていこうと思っているだけだ。親孝行をあまりやっていなかったことの罪滅ぼしのつもり。

  不信心者の私の話は置いといて、『スケッチ・オブ・ミャーク』は神が傍にいる、あるいは、神が傍にいることを感じている人々を多く映している。彼(概ね彼女だが)らは日常的に神を感じ、神に祈る。そして、神への歌が生まれた。
 彼らの歌う神歌は厳かである。神への畏敬が感じられる。畏敬があるから真摯に祈る。なので、神歌だけでなく「真摯に祈る」彼らもまた、尊厳に満ちている。一昨年(2010年)アイヌの歌を生で聴く機会があったが、アイヌの歌と宮古の神歌は似ていると感じた。よく覚えていないが、アイヌの歌も神への祈りが多いのではないだろうか。

 何故「神へ祈る」のだろうと神へ祈ったことの無い不信心者の私が考えてみた。いや、逆に、何故私は「神へ祈ったことが無い」のかと先ず考えてみた。
 母の腹の中にいる頃から記憶のあまり無い4、5歳の頃までは不明だが、私はたぶん、今までの人生で「神に祈る」状況に陥ったことが無い。仕事上で、また、人間関係で窮地に陥ったことはあるが、「何とかなるさ」と思い、何とかなってきた。
 「神へ祈る」人々はおそらく、その歴史に「何とかなるさ」では済まない状況があったのであろう。宮古には人頭税などという過酷な税制があり、首里から派遣された役人から理不尽な仕打ちを受けたという歴史がある。人頭税がそもそも理不尽である。そんな理不尽からの救いを「神へ祈る」ことに求めたのかもしれない。「生きる」ことが難しかった状況では神が傍にいる必要があったのであろう。
          

 記:2012.10.26 島乃ガジ丸


一等国が見棄てたもの

2012年10月26日 | 通信-音楽・映画

 私好みの映画を多く上映している桜坂劇場は、その会員になると一年ごとの更新時に2枚、誕生日に1枚の計3枚の招待券が貰える。その3枚、毎年無駄にすることが多いのだが、今回も10月23日が期限の2枚と10月末日が期限の1枚ともに19日まで手元にあった。その内の1枚を19日に知人のIさんにあげて、残る2枚の内の1枚を去った日曜日(21日)に使った。観た映画は『ニッポンの嘘』というドキュメンタリー。
  終戦後、広島の原爆、原爆の後遺症、学生運動、成田闘争、原発問題、公害等を撮り、それを世間に訴えた90歳(1921年生まれ)の報道写真家が主役。

 自民党政治家の演説でよく耳にした「一等国」、そうなるために戦後、日本国は政治も経済も頑張ってきた。そして、そうなった。お陰で私も大学進学ができ、就職して月20万円(零細企業だったので資格を持っていてもそれだけ)くらいは稼げ、酒をたらふく飲め、年に2回は安宿の貧乏旅ではあったが旅行することもできたと思う。
 「一等国」が広辞苑にあった。「国際上、最も優勢な諸国の俗称」とのこと。「優勢」とは何か?「勢い・形勢などが他にまさっていること」(広辞苑)のようだが、ここではおそらく経済的、軍事的に「他にまさっていること」であろうと思う。いわゆる富国強兵を成し、それが世界のトップクラスであれば「一等国」ということだ。
 日本は、建前上は軍隊を持ってはいけないことになっているが、現在の日本の軍事力は世界有数であろうと思う。経済的には長く世界のトップクラスにある。したがって、日本は「一等国」に違いない。焼け野原となった戦後、一所懸命頑張って、奇跡の復興を成し遂げ、高度成長期を経て「一等国」になって、それは長く続いている。

 私は普通に、日本が一等国になったのは世界から「働きアリ」と揶揄された日本人の勤勉さ、真面目さによる国民の努力のお陰だと思っていた。しかし、国民の努力も当然あったのであろうが、経済界の意向を酌んだ自民党政治のお陰もあったのであろう。
 自民党政治によって富国になり、何とか平和が保たれ、それによってほとんどの国民が幸せを得た、あるいは幸せだと感じたであろう。何しろ、マイホームを持ち、マイカーを持ち、家には電化製品が溢れ、世界の料理を口にでき、毎日酒が飲める。こんな裕福な国に生まれて良かったと思うだろう。そういうことが幸せの尺度であるならば。

 一等国になったのは政財界の力と国民の努力のお陰だが、しかしながら、一等国になる過程で見棄てられた国民もいる。それを映画『ニッポンの嘘』は描いている。そのことが映画の主旨なのかどうかは解らないが、私はそれに気付き、そう感じた。
 一等国が見棄てたものは、一等国になるために「足手まとい」となる者たち。頂上を目指し山道を歩くには「お荷物」となる者たち。経済的に役に立たない者を捨てる「姥捨て山」の姥となる者たち。一等国であるためには都合の悪い「臭いもの」の臭いものと見なされ蓋をされた者たち。そして、誰がそれらであるかは国が判断してきた。
 「一等国」とはしかし、「裕福である」ということだけが価値基準であろうか?原発に頼らない社会の中で、高級料理は食えないけど美味い蕎麦は食える、毎日は飲めないけど週に2日は美味い酒が飲める。それで「一等国」とはならないだろうか?
          

 記:2012.10.26 島乃ガジ丸


ワンシーンが意味するもの

2012年09月28日 | 通信-音楽・映画

  『ボンジュール☆ケベック!シネマウィークin沖縄』なる催し物が9月15、16、17日の予定で那覇で開かれた。沖縄を舞台にした映画『カラカラ』の完成イベントということで、『カラカラ』の監督クロード・ガニオン氏を招いて、概ね氏の過去の映画を上映する三日間、氏がカナダのケベック出身なので「ケベック」とタイトルにある。

 埼玉の友人Kが沖縄へ遊びに来たのは7日、帰ったのは18日。Kが沖縄にいる11泊12日のうち、私が付き合ったのは旅の間の5泊6日と、14日と15日の夜飲んだとので昼間6日、夜8日だけ。Kは空港への送り迎えも断った。私が始めたばかりの300坪の畑仕事に忙しかろうと、気を使ってくれたのだ。優しい男である。 
 宮古諸島の旅6日を除く6日間の昼間、Kは何をしていたかというと、2日間は別の友人Yが付き合ってくれたが、残る4日間は一人で過ごした。優しい男は当初から、私の時間をあまり奪わないようにと沖縄にいる間の3日間を一人で過ごす予定を組んでいた。一人でも退屈しないようにと、彼は映画の3日間パスを購入していたのであった。
 『ボンジュール☆ケベック!シネマウィークin沖縄』の初日と三日目は予定通り開催されたが、二日目は台風16号の襲来で次週に延期となる。次週にKは沖縄にいない。であるが、Kの購入した3日間パスは次週になっても有効である。
  「パスを使ってください。・・・3つとも良い作品です」というKの書き置きと共にそのパスが残されていた。ということで、23日、映画を観に行った。

 午前11時に1本目、午後2時に2本目、午後5時に3本目(ショートフィルム8~9本)があり、終了予定時刻は夜7時、「畑を放って、丸一日を映画に費やすほどの価値がある作品なのかどうか?」と疑問を持ちながら出かけた。
 1本目については特に感想は無い、どんな内容だったかもあまり覚えていない。2本目は監督クロード・ガニオンの作品、これについては少し感想がある。大雑把にいえば、ふてくされた青年を人生経験豊かな叔父さんが立ち直らせるといった内容。
 叔父さんは備前焼の名のある陶工という設定、ふてくされた青年はそこの弟子となる。青年は、焼き物の美に気付きかける。美を知るということは生きる喜びとなり、生きる力にもなる。それが映画の主要テーマかと思いきや、違った。この作品が主張する生きる喜びはもう一つあり、それはセックス。まるでフリーセックスのようにこの男とあの女、あの男とこの女がセックスする。そんなシーンがさほど重要か?と疑問。
 確かに、セックスは生きる喜びであり、生きる力になり得るかもしれないが、それは欲望の充足という簡単な喜びだ。焼き物の美を知る過程の方が私には興味がある。そういった意味で、私にとってこの作品はつまらない作品という評価になった。

 3本目はショートフィルム集であったが、内容はほとんど覚えていない。作品が何本あったかも忘れた。記憶に残っているのはただ一つ『少年と機関車』のみ。
 機関車に挑む少年は、その心に深い悲しみと強い怒りが秘められていることが、別のシーンから想像できた。「頑張れ、負けるな!」と応援したくなる。ただ、そのラストシーンが私には理解できなかった。惹き込まれた作品だけに理解したかった。
          
          

 記:2012.9.28 島乃ガジ丸


沖縄の普通『沖縄』

2012年08月03日 | 通信-音楽・映画

 ナツヤと名付けている宜野湾の小さな畑、その近くに住む爺様Hさん、婆様Zさんと仲良くなり、たびたびお宅に伺ってあれこれ教えを乞うている。二人と知り合ったのは今年3月19日、ナツヤで農作業をしている時に散歩途中のZさんに声をかけられた。その日の内に二人の住む家にお邪魔して、昔の話、薬草の話、平和活動の話などあれこれ伺っている。二人は平和運動家であった。その方面の知識が豊富であった。
 そんなある日、二人の家でお茶とお菓子を御馳走になりながら、沖縄の祖国復帰運動の頃の話となった。復帰運動が盛んだったのは私が中学から高校にかけてのことで、屋良朝苗、瀬長亀次郎、上原幸助などといった政治家達が奮闘していたのを覚えている。
 Hさんはその頃の資料も豊富に持っていて、そのいくつかを私に見せてくれた。その中の一つに、当時中学高校生だった私にも懐かしいものがあった。「固き土を破りて 民族の怒りに燃える島 沖縄よ」という歌、その楽譜と歌詞があった。中学高校生の頃に聞いたきりだが、歌詞をだいたい覚えており、メロディーはしっかり覚えていた。
 しかし、ふと気付いた。復帰運動について上記の政治家と歌以外の記憶が私に無いことを。中学高校の頃の私は「彼女が欲しい、キスしたい、抱きたい、おっぱい揉みたい、セックスしたい」ということが脳味噌の90%を占めていたからだと思う。

 復帰運動、及び復帰は沖縄にとって大きな歴史だ、「いずれガジ丸HPで紹介しなくちゃあいけない」と、今や「彼女が欲しい、・・・したい、・・・したい」が脳味噌の数%しか占め無くなったオジサンは、それを頭にインプットした。そのインプットが消え去らない内のある日、宜野湾市立図書館へ行くと、その時代を描いた映画があった。
 劇映画『沖縄』、解説がビデオの表紙にある。それを要約すると以下、

 この作品は本土復帰前の1969年に製作上映された・・・1968年11月沖縄初の主席選挙で民主統一候補の屋良朝苗氏が当選・・・沖縄県民の本土復帰への願いがここに結実した。それから1年、沖縄の日本復帰は大きな高まりを示した・・・しかし、アメリカの核戦略基地としての日本復帰であるとすれば、それは平和を守る人々の願いを歪め、同時に歴史の歪曲も意味する。ここに沖縄無条件全面復帰運動の意義がある。

 後半部分が何を言っているのか私にはよく理解できない。「歴史の歪曲」って何のことな のか私には不明。映画を観終わった後も、「核戦略基地としての日本復帰」、「歴史の歪曲」などといったことは見えてこない。映画はしかし、十分楽しめた。

 出演は佐々木愛、地井武男、加藤嘉など。地井武男は沖縄のヤンチャな若者を演じていた。そういう若者、おそらくいたであろうと納得できるようなキャラクター。
 加藤嘉は久々に目にしたが、つくづく名優だと思う。彼の演じる人間を映画やテレビドラマでいくつも見てきた。彼は善人も悪人も演じる。彼の演じる善人はいかにも善人で、彼の演じる悪人はいかにも悪人である。この映画で彼は他人を犠牲にしてでも自らの利益を求める普通のウチナーンチュを演じている。「普通の沖縄人」、そう、ウチナーンチュはけして犠牲者とか、素朴とか、善人ばかりでは無いのだ。良い映画でした。
          
          

 記:2012.8.3 島乃ガジ丸

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄の戦争遺跡』沖縄平和資料館編集、沖縄時事出版発行


日本の良心『沖縄決戦』

2012年07月27日 | 通信-音楽・映画

 ここ数年、映画を観に行くことが減った。年に2~3本となっている。首里から宜野湾市我如古へ引っ越してからは、那覇に出ること自体億劫になっている。那覇にある実家へ週に1回、窓を開けたり、ベランダの鉢物に水をやったりしているが、それも面倒に思っている。畑に出る方がよほど増し、と私の心と体は感じているようだ。
 映画を観に映画館へは行っていないが、その代わりというか、宜野湾市立図書館でDVDやビデオを借りて映画は観ている。ここ最近は特に戦争関連を多く観た。

 『激動の昭和史 沖縄決戦』もその一つ。

 ビデオの裏表紙に映画の紹介文がある。そっくりそのまま引用すると著作権に関わるかどうか不明だが、映画の宣伝にもなると思うので許していただきたい。
 「1945年4月1日、米軍は沖縄を強襲した。海の色が見えなくなるほどの上陸用舟艇が嘉手納海岸に殺到する。日本軍にはもはや、これに対抗できる戦力はなかった。不沈戦艦と謳われた大和が特攻し、爆弾を抱えた戦闘機が米艦へ体当たりする。地雷をかかえ、戦車の前に身を投じる学徒兵。追いつめられたひめゆり部隊の集団自決・・・。沖縄の悲惨な戦いを再現した戦争映画超大作。」・・・流れはだいたいその通り。

 沖縄島上陸の数日前、3月26日に米軍は慶良間諸島に上陸し、地上戦はそこから始まる。既に大本営は沖縄を見棄てており、主力部隊を沖縄から引き上げている。沖縄戦は本土決戦を免れるための時間稼ぎと位置付けていたのだ。
 映画は慶良間諸島の集団自決を描き、以降、各地で悲惨な戦闘、殺戮される日本兵や沖縄民間人、自決を余儀無くされる人々を描き続けて行く。人々が死んでいく、人々が死んでいく、人々が死んでいく、画面の多くはそうであった。
 仲代達矢演じる高級参謀が、「勝てない戦、沖縄玉砕覚悟の時間稼ぎ戦」にそれでも一所懸命作戦を考える。考えながら彼にはずっと虚無感が漂っていた。それが印象的。

  東宝の製作で1971年7月に公開されている。監督は岡本喜八、脚本は新藤兼人、二人とも、私でも知っている有名な映画監督。出演者もまたオジサン年代にとってはオールスター総出演みたいで、小林桂樹、丹波哲郎、仲代達矢、加山雄三、酒井和歌子(可愛かったなぁ)、大空真弓、池部良、神山繁、岸田森、地井武男などなど。
 逃げた前知事に代わって赴任した島田知事(神山繁)、司令官牛島中将(小林桂樹)などは死を覚悟しての沖縄で、真摯に職務を遂行する。彼らには誇り高き侍を感じる。誇り高き侍であり、沖縄の行く末までも案じた海軍陸戦隊司令官大田少将(池部良)や、一緒に死なせてと言う女学生たちを追い払って自決した一兵士(地井武男)などはチムグクル(人を思いやる心)も兼ね備えた日本人だ、日本の良心を感じさせる。
 映画はまた、日本兵による集団自決の強要も描き、沖縄人に対する日本兵の酷い仕打ちも描いている。島田知事や大田少将、地井武男演じる一兵士らの生き様が史実であったかどうかは確認不要。日本の良心は今も昔も存在し、日本の悪心だっていつの世にも存在する。岡本喜八が日本の悪心も描いていること、それ自体が日本の良心とも言える。
          

 記:2012.7.27 島乃ガジ丸

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄の戦争遺跡』沖縄平和資料館編集、沖縄時事出版発行