明けましておめでとう。
テンプレートを変えました。お正月気分もそろそろ抜けてきましたね。
昨年は、コロナコロナで思うようなことができず、不安と共に生活した1年でした。
世の中の誰も先を見通せない、不安定不確実な時代だが、ひとつ明確なものを挙げれば、IT化というか、デジタル化というか、情報化というか、その全体像は見えないが、ある変化が進んでいることだろう。
いつどこで誰が何をしたか、何を言ったか、何を考えたか、が映像や文字や記号で記録され、それを使って様々なリソースが戻ってくる。
更にはそれらが集められ、分析され、巨大なデータベースが作られ、人工知能がそれを学習して、並の人間には不可能な予想、予見を立てて世の中をひっぱていく。コンピュータが人工知能がこうだと言えば、誰もが認め反対できない、おかしいという人は変な人とみられる。という社会になりつつあるような気がする。
そしてそのような行動をする巨大企業や集団は、国境を越えて存在し膨張していく。一国の法律や民族のモラルや宗教の戒律ではこれを規制することはできない。
国家が悪用すれば「1984」の悪夢が現実化することもあり得る恐ろしい道具になる。
このような心配や不安を調べて報道するメディアはまだまだ健在だが、ココでもう一つの変化が進んでいる。
それは「覇権主義」というか「独裁政治」というか「反知性主義」というか、「問答無用」の乱暴な考え方で、批判を無視しひねり潰す「厚顔無恥」の政治スタイルが世界で優勢になってきたことだろう。
トランプ、習近平、プーチンなどの言動を見ていると、またミャンマー、香港、アフガン、シリア、などの國の運命を見ると、確実にそうなりつつあると思う。
わが国でも同じような根っこを持つ政権が一切の批判を許さない、少数意見をひねり潰すような行動を取ってきた。コロナ禍というジョーカーが出なければまだまだ続いていたと思う。
多様な意見を包摂し少数者弱者を大事にする、人間の顔をした民主主義が大きく後退を始めた。第二次大戦後の世界はソ連圏を除けば、当然のように民主主義を受入れた。しかし歴史はまた動き始めたのか、世界は揺れ動いている。歴史の流れは誰も止められない。
個人が流れに抗することは難しい。傍観者として生きるか、小さいが声を出していくか・・・・・・今年は考える年になりそうです。