My Life with 統失

僕の統合失調症と向き合う日々の葛藤や、苦悩、嬉しいこと、楽しいことなど、赤裸々に綴っていきます(^^)(^^)

主治医の先生へ 感謝・決意

2017-03-30 20:32:09 | 日記
先生へ

いつもお世話になっています。そして約8年間大変お世話になりました。

感謝してもしきれません。通院に行く度先生の励まし、カウンセリング、アドバイス、笑顔にはいつもエネルギーを頂きました。
先生がいたからこその今の自分があるとも思っています。
この10年は自分の病気である統合失調症と向き合った日々だったように思います。
悪化した当初は、自分の殻に閉じこもる毎日で今のように視野を広げることができなかったように思います。本当に一年一年、一日一日、ちょっとずつ成長していけたかなと感じています。
時には、「入院させてください!」「助けてください。」とSOSのサインを強引にだしたこともありました。でもその都度、冷静に対応していただきありがとうございました。
先生から、「寛解に近付いている。」と言われたときはいよいよここまで来たんだと思い、
本当に嬉しかったです。でもここがゴールではないと考えています。
新たなスタートラインに立ったと思っています。いや、もっと言えば、30歳になってからが本番だとも思っています。その30代に向けての最後の土台固めの年、今年の29歳の年は本当に重要だと自分の中でとらえています。その上で土台作りの重要な役割、基盤となるのが、今の仕事場、だと感じています。本当に今の仕事場がなかったら今の自分はなかったと思っています。その上で仕事場に入所する自分を見つめなおす約3カ月の秋の期間は本当に貴重だったと思っています。
また1か月1か月、減薬とともに、新しい自分に出会っていっているのを客観視できました。減らして1、2週間は精神的な離脱症状との戦いでしたが、1か月くらいすると、以前より成長できているような感じが実感できていました。これからは自分の中で人生の新しい章の始まりだと思っています。
 
僕が自分と向き合う期間一冊の本と出合いました。90年代にブレイクした芸人「松本ハウス」さんの生きざまが描かれた「統合失調症がやってきた」と、いう本でした。

松本ハウスさんのボケ担当、ハウス加賀谷さんは僕と同じ14歳で統合失調症を発症されました。病気の症状と向き合い戦いながら、お笑い芸人を志されますが、ブレイクしたのち症状が悪化し、台本や原稿が覚えられなくなったりして、芸人の一線を退かれ姿を消されました。
その後、統合失調症の新薬、「エビリファイ」と出合われ病状が劇的に良くなり、再び芸人の復活を果たされました。

今現在、統合失調症を武器にされ、笑いの幅を広げられています。トータル全国各地で200回以上の講演活動をされているそうです。


この人の生きる意味、活動、生き方を知った時、心の奥底から共感し熱くこみあげてくる思いがありました。
なんて素晴しい生き方なんだろう、僕もこういう生き方をしていきたい、と思いました。

そして、これからは統合失調症を講演活動を通して一人でも多くの人に知ってもらい社会の偏見の目を少しでも、無くしていくことが自分の生きる道だと考えていますが、そこにもう一つの理由があります。

それは、僕のお父さんの生きた証を実証することです。
父が亡くなって5年たちますがまだまだ父の現実と向き合う事の出来ない自分がいます。
仏壇の部屋に掛けられている、父の遺影の写真は未だに凝視することができません。父がああいった形になったのは、自分の責任と感じているからです。

ずうっと向き合えず悩んでいました。亡き父にできることはなんだろう。どうすれば父の生きてきた人生に意味を見出せるのか。考え悩みました。

あるとき、自分なりの答えが見出せました。
父の現実から真っ向から向き合い、講演活動の中で、父の過去、事実、現実を一人でも多くの人に伝えること、それこそが父の生きた証を示せる形だと決意しました。

友達のカウンセリングが出来る立派な部屋、家を建ててくれたのもお父さん、生きていくうえで最強のアイテムである携帯の料金を払える、障害者年金の申請、手続きをしてくれたのも他ならぬお父さん、僕の生きる道しるべ、舞台を整えてくれたのも父、母、両親。

この二つの動く理由、理念、根本がある限り、僕は生涯にわたって自分の使命、活動を続けていけると確信しています。

自分ははっきりいって自分自身の統合失調症が大好きです。
異常心理かもしれません。ただ、僕の中でブランドです。

ここまで来るのに28年かかりました。

またもし、先生と再び会える機会があるのであらば、その時は、今より何倍も何倍も成長し大きくなり、たくましくなった姿であの時はお世話になりましたって、心から伝えたいです。

先生にとって僕は何十人、何百人といる患者の中の1人だったのかもしれません。
でも僕の中では心から信頼できるかけがえのない、たった1人の先生でした。

その先生の笑顔と優しさで、僕という人間を救ったように、これからもたくさんの人を救っていってください。


最後に自分の人生を肯定するべく今、ブログを定期的に綴っています。
また、時間がある時、拝見ください。

http://blog.goo.ne.jp/gakki0505/p 

本当にありがとうございました。

2017年3月31日(金) 







、、、この文章は約8年お世話になった3月いっぱいで別れをする主治医の先生に向けた感謝の手紙です


何かこの文章を読んで感じとって貰えたら幸いです


次回からまた過去に遡って綴っていこうと思います








パロットでした

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