徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

城北公園の菖蒲園

2022年06月02日 21時00分21秒 | 独り言・社会・ニュース

城北公園の一角にある城北菖蒲園は昭和39年に開園した回遊式の花菖蒲園です。
花菖蒲というのは、古くからの鑑賞用でアヤメ科の一種で日本に自生する野花菖蒲から改良された園芸種です。

さて、この城北という名称はどこから生まれたのでしょうか・・・
ここ城北の名は、1934年(昭和9年)に淀川の旧河床を整備して、当時の城北村に由来しています。 僕の独断では大阪城の北方面にあることからばかり思っていたのですが・・・
でも、城北の名は、当時榎並城という城があり、その北側にあった村を城北村と呼ばれており、その築城は、南北朝の争乱期と言われていますが、これも定かではないようです。

どちらにしても、その当時、榎並城があり、その北側に城北村があり、それがこの地名になったようです。 なお、この城は天文17年(1548年)に廃城されたのは記録にあるそうです。

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この城北菖蒲園には、江戸系、伊勢系、肥後系の三系統をはじめとする250品種、約13,000株の花菖蒲を栽培しています。

この古い地名に江戸時代から改良、栽培された菖蒲を、現代に生きる我々を楽しませています。

  

 

  
 
  

  

  
 
 多彩な名前が付いた菖蒲が色々あるのですが、切りがないので、ここまでにしますが、興味のある方は是非、現地に足を運んでください。
まだまだ、蕾も多くあり、見ごろは6月中旬までとのことです。


大阪城の梅林・・・

2022年03月03日 19時53分05秒 | 独り言・社会・ニュース

大阪城の梅林が見ごろということで観梅に行きました。
しかし、梅は桜と同じように品種によって一斉に咲くということはないようです。
品種によってかなりのタイムラグがあるようです。

  

 大阪城の梅林は、今は100品種、1270本の梅があります。大阪城も早咲きは既に散っており、普通に咲く梅は、咲き始めから満開というもので、遅咲きは、まだ蕾のもので、それでも全体としては”見ごろ”となるのだそうです。

 


そもそも開園が昭和49年(1974年)というから48年しか経っていません。
しかし、木々を見るとかなり古木的なたたずまいに思われたのは、僕の思い過ごしなのでしょうか・・・

ともかく、この梅林が大阪府北野高校の卒業生が22品種880本を当校の開校100周年記念として寄付したのが初めだとか・・・
これが、この季節に一卒業生の寄付が、後世まで多くの人々を慰めていることを思えば今後もこの梅林を大事にしてゆかなくてはならないと思います。




なぜ・・日本のワクチンの開発は遅いのか

2021年07月01日 20時56分45秒 | 独り言・社会・ニュース

感染症に対するワクチンの緊急開発は安全保障と外交の意義を持つという認識が足りなかったと言われています。
緊急の感染症に対する基礎研究は20年前からすでに大きな差がついていたとも言われています。  

      

日本では、感染症は、有事(戦時)という認識がなく、戦時の備えが十分ではなかったということです。
単なる公衆衛生上の緊急事態程度に見ていたのです。

では、その責任はどこにあるのでしょうか・・・・

理由はいろいろありますが、原因の一つには、過去20年間のパンデミック(世界的流行)に日本は、切羽詰まった感染状況がなく、その体制つくりがおろそかになっていたのです。

2002,3年のSARS(重症急性呼吸器症候群)や2012年のMARS(中東呼吸器症候群)

の時にも厚生省に対して今後の対応策を国として作るように声が上がっていたのですが、結局事態を変えることはありませんでした。

それも、もっと深い原因がそれ以前にあったのです。

つまり、1992年の東京高裁判決が大きな影響があるのです。
それまで、ワクチン接種大国だったが、この裁判で予防接種の副反応訴訟で国に賠償を命ずる判決を出したからだと言われています。

この判決は「画期的な判決」と世論が広まり、政府は上告できず、1994年に予防接種法が改正され、日本での接種率は急速に低下し、国民の間ではワクチン逃避が高まりました。

学校での集団接種もなくなり、自治体から集団接種のノウハウがなくなりました。

これらのことから、メーカー側もワクチンに対する取り組みがなくなりました。
この事態になったのも、日本国民全部の責任ともいえるのかも知れません。

         

ワクチン開発には、基礎研究や臨床試験など探索、有効性、安全性、など品質を担保しつつ大量生産の可否の確認する必要があり、開発には一般的に年単位に期間がかかります。

今は、日本でも、数多くの企業や研究所がワクチンの開発に取り組んでいます。
しかし、問題は山積しています。
他国に比べ極端に少ない資金面もそうですが、日本での臨床試験に課題があり、欧米などに比べると感染者数が少なく、臨床試験に参加した人が感染する可能性が各国に比べると低くワクチン効果を確認するのが難しいと言われています。

この事態を解消して、国の資金面の支援で、いっときも早い実用化を願いたいものです。
これからのパンデミックに備えるためにも、普通の生活に戻るためにも・・・


地球の温暖化とは・・・・

2021年05月01日 09時00分05秒 | 独り言・社会・ニュース

地球温暖化の原因について二酸化炭素(CO2)濃度の増加が原因というのが一般的だそうです。
そうであるなら、二酸化炭素はどれほどあって、それをどのように減らしてゆくのかが課題となります。

しかし、一方で二酸化炭素の増加だけが原因ではないという説もあります。

問題にされている二酸化炭素は大気中にはわずか0.03%に過ぎませんがそれが大きな影響を与えているのでしょうか。

二酸化炭素の増加が原因でないという説には・・・

1,太陽活動が地球の温度に影響を与えているという説

2,氷河期が来るのではないかという説
  歴史は氷河期と間氷河期という自然のサイクルが地球に訪れるので人間活動ではないとい う説

氷河期のサイクルは天文学的なリズムで地球に氷河期がくるとしても人間が温室効果ガスを増しているので、氷河期は来ないということも考えられます。

      

その温室効果ガスが増えているということは、二酸化炭素やメタン、亜酸化窒素、フロン、表層オゾンなどが良く知られています。

冒頭で言いましたが、これらのガスの量はごくわずかに過ぎず大気中の0.03%にすぎず、量は少なくとも温室効果ガスは、地球をあたたかく保つ上で非常に大きな働きをしています。

もし、温室効果ガスや水蒸気がなければ地球の平均気温はー18°Cに下がってしまうだろうという科学者もいます。

       

もともと二酸化炭素やメタン、水蒸気、オゾンなどは自然に地球上に発生したものです。
ところが人間の活動が活発になるにしたがって大気中の温室効果ガスがどんどん増え、地球の温度がじわじわと上昇してゆく。 
これが地球温暖化といわれているのです。
       

このまま地球温暖化が進めば2100年には、地球の平均温度2℃上昇するとともに海面が約500m上がると言われています。

そうすれば農作物への被害、砂浜の消失、熱帯性伝染病の流行、異常気象、高潮などの被害などがあげられます。

           


まだまだあります。オゾン層に穴があくと有害な紫外線が吸収できなくなり、太陽エネルギーがより強く地上に降り注ぎ、そしてますます温暖化が進み、自然界や人間に多大な影響を与えることになり、絶対温暖化は阻止しなくてはならないのです。


人類の感染症のパンデミンクとの闘い -その3-

2021年02月27日 14時27分39秒 | 独り言・社会・ニュース

100年前のスペイン風邪をどのように克服したのでしょうか・・・

20世紀最悪のパンデミックとされ、世界中で2000万人~4500万人が死亡し日本国内でも45万人が死亡したといわれるスペイン風邪はどのように終息したのでしょうか・・・

      


スペイン風邪の発生は今から約100年前の1918年から1920年の2年間、アメリカの軍隊(アメリカ、カンザス州の陸軍基地)から発生したと言われて、当時は第一次世界大戦の最中、欧州に派遣されて世界中にばらまかれたと言われています。

なお、スペイン風邪と言われたのは、当時スペインは中立国であったため戦時報道管制外であり、”スペイン電”として世界に発信されたからで、スペインにすればいい迷惑だったことでしょう。

日本では、「スペインで奇病流行」と報道されたようです。

  

さて、問題は当時のパンデミングに日本政府や各自治体はどのように対処したのでしょうか・・・
結論的に言えば、「無策」だったと言わざるを得ないようです。
色々と対策は講じたようですが、病原体自体(H1N1型ウイルス)を見つけることができなかったからで、当時は電子顕微鏡がなく、細菌だと考えられていたが、ウイルスに対しては全くの無力だったようです。

しかし、ウイルスとはつかめなかった当時の人たちは、驚くべきことに、未知なる伝染病に対する一般的な対処方法は、現在の新型コロナ禍における対処、予防法とそっくりでした。

つまり、はやり風邪に対する方法として・・・
1、咳するものに近寄ってはならぬ。
2、たくさんの人が集まっているところに立ち入るな。
3、人の集まっているところや、電車、汽車などの内では必ずマスクをかけること。

そして、はやり風邪は人から人に伝染するもので咳やくしゃみをすると眼には見えない細かな泡沫が3,4尺(1メートル)周辺に吹き飛ばされ、それを吸い込んだものがこの病にかかる・・と。

このように考えると現在の状況と大して変わらないようです。
前述で無策といったのは、少し間違いだったかもしれません。
確かにウイルスに対する医学的解決(予防薬とかワクチンとか)は出来なかったのですが、政府や各自治体は広く、一般的な社会的な感染予防方法を喧伝したようです。

  

このスペイン風邪も1次、2次と感染の波があったようで、第2波の方が死者も多かったようです。

人口の6から7割が免疫を持てば、集団免疫が完成すると言われています。
結局、この集団免疫を待たなくてはならなかったようです。
つまり、大多数の人が免疫を持てば、それ以上広がらないということです。

当初は2年近くかかるとされたワクチンが、想像以上の速さで開発され、接種が始まりました。

残念ながら、医学先進国のはずの日本は、ワクチン開発に遅れをとっています。 人間の天敵の一つが「ウイルス」とすれば、今後ともこの「ウイルス」との共存に人類の英知が必要なようです。
と言っている間にまた新たな病原体が現れるかも知れませんが・・。

マスクなしの生活に戻るには、ワクチンの効果にもよるのでしょうが、2,3年はかかるのではないでしょうか・・・

                  (以上、古谷経衡氏の記事を参考にさせていただきました


人類の感染症のパンデミンクとの闘い -その2-

2021年02月13日 19時09分56秒 | 独り言・社会・ニュース

感染症は文明と切り離すことができない副作用だそうです。
つまり、多くの人間が密集して暮らす”都市化”、そして遠い地域や国との交流を持つ”グローバル化”という要素が、感染症の拡大被害という副作用をもたらすということなのです。

感染症に限らず、人類は自然災害が、それも人為災害といわれる被害が増大しています
それも二次的な被害も益々増大化し、同様に感染症の病原体もいつの間にか、人為的災害となり、増大化してきているのです。

感染症の歴史は、文明の成立するころから始まっており、紀元前3500年頃には既に都市化が始まっており、グローバル化という文明の要素も存在していました。

このことは、エジプトのミイラに天然痘や結核などの感染症の痕跡が残されていることからも分かります。

          

細菌学が成立するまで、特効薬もなく原因はわからず、当時の人達は、有毒な粒子や瘴気(ガス)などに接触して体内に入ることで病気が起こると考えられていました。

1800年代になると細菌学が成立し、ペスト菌が発見され、ネズミとノミが媒介することが突き止められました。
これが人類が感染症と戦うための画期的な出来事で、その後、人類は感染症と戦う武器を次第に増やしてゆきます。

まず、1700年代後半には、イギリスの医師ジェンナーによって発見された天然痘の予防法”種痘”です。
1800年代には、動物に抗体をつくらせ、その血清を体内に入れる血清療法が開発されました。
 

 

1920年代には最初の抗生物質”ペニシリン”が発見され、製剤が開発され、以降、40年代の結核の”ストレプトマイシン”などの抗生物質の薬が開発されました。

感染症の封じ込めは、インフラの整備もあります。
コレラの感染源は、汚染された水で、下水道の整備は、予防に有効で、その後コレラのまん延が収まったという歴史があります。

                 次回は、スペイン風邪以降の状況について述べます。

 


人類の感染症のパンデミックとの闘い・・・ーその1-

2021年02月03日 12時40分17秒 | 独り言・社会・ニュース

とうとう今年も2月に入り、あの新型インフルエンザから1年が過ぎました。
でも、まだ終息していません。

プロ野球もキャンプインしましたが、無観客となり、開幕は予定通り行われるのでしょうか・
緊急事態宣言は何時解除されるのでしょうか・・そして、ワクチンは・・・オリンピックは・・・ 問題は山積しています。

この感染症との戦いは、人類の共通の課題であり、過去の戦いはどうだったのでしょうか・・・

 

 

人類は、紀元前から感染症と戦った来ました。
感染症をもたらす病原体や対処方法が分かってきたのは19世紀後半になってからで、その後は感染症による死亡者は激減しました。

しかし、1970年頃より、新しい感染症である「新興感染症」や一時減少したものが再び出現した「再興感染症」が問題となっています。


紀元前ではエジプトのミイラからも天然痘の痕跡がみられ、6世紀には日本でも流行しました。
その後15世紀、コロンブスの新大陸上陸により、アメリカ大陸で大流行しました。

540年頃にはペストがヨーロッパで流行し、14世紀には「黒死病」とも呼ばれ再流行しました。

その後、新型インフルエンザとして1918年には「スペインかぜ」、1957年には「アジアかぜ」、1968年の「香港かぜ」、2009年の「A/M1N1」

また新興感染症として1982年の「エイズHIV」1996年の「プリオン病」、1997年の「高病原性鳥インフルエンザ」、2002年の「SARS」

再興感染病としては、「結核」「マラリア」など紀元前から現代に至るまで出現しており、多くの感染者や死者が出ています。

                

次回は、これら人類を脅かす感染症のパンデミック(世界的大流行)は、どのようにして人類は戦ってきたのか、少々述べてみます。

                 この記事は、大幸薬品の健康情報を参照しました

 


ウイズコロナ と アフターコロナ

2020年10月08日 17時04分15秒 | 独り言・社会・ニュース

コロナ感染も少しは沈静化の方向に進んでいるように思いたいのですが、10月に入っても大きな変化がありません。


                        
               10月7日現在 新規感染者数の推移 (日本)


それどころか、世界を見ればまだまだパンデミック状態が続いています。
特にアメリカでは、大統領も感染し感染が収まるどころか、拡大傾向もみられます。

  
          10月7日現在 世界の感染者数    

今は、いかにコロナとどう付き合うかを問われています。
その中でアフターコロナを論ずるのは時期的にまだまだと言う感があります。


             
        10月7日現在  世界の感染者発生状況

 

ウイズコロナとは、コロナとの共存、共生というのが正しいのかもしれません。
というのも、今回のコロナ禍が長期化することが予想されるだけでなく、今後の繰り返し流行される可能性が高いといわれています。

コロナ禍の今、マスクをつける日常生活から解放される日が来るのでしょうか・・・

                     

     

三蜜を避ける、手洗いを励行する、そしてマスクを着用するというガイドライン的対応だけではなく、人と人、人と空間、人と働き方など、様々な場面で暮らし方の質が大きく変貌しました。

そして、日本では、ぼちぼちとビジネス関係者を中心に世界各国からの入国を始めてゆくようです。
もちろん、感染予防を万全にしてとのことですが、この状態が来年のオリンピック・パラリンピックの開催に向けての動きの一つでしょうが、世界的にはどうなのでしょうか?

今の状態がたとえ少し改善しても、予防を万全にしての開催も、世界中の国々から心からの声援は今のままでは、難しいのではないでしょうか・・・
コロナに打ち勝った証しとしての開催には、それにふさわしい大会になって欲しいもので、この動きが世界のコロナ禍収束の起爆になれば良いのですが・・・

願わくば、ワクチンや治療薬の早期完成とパンデミックが解消することを願い、マスクなしで人ごみに行ける状態になれば、本当の意味のアフターコロナ時代の到来です。
そして、大声で、声援が送れるオリンピック・パラリンピックになることを願わざるを得ません。