徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

初詣が今の形になったのは・・・・

2020年01月06日 20時25分25秒 | 独り言・社会・ニュース

いよいよ2020年、令和2年がスタートしました。
何といっても今年の一大イベントは、7月24日から始まるオリンピックそれにパラリンピックでしょう。

でも世の中は騒然としてきました。 五輪の祭典を阻害するような出来事が起こらないことを願うばかりです。

1月6日は小寒、7日は七草がゆ、10日は十日戎、11日は鏡開き15日は小正月、20日は大寒と寒さが一段と厳しくなる季節の到来ですが、報道によれば、今年は暖冬とか・・・やはり冬はそれなりに寒く、適量の積雪が必要です。

さて、今年も初詣に行ってきました。

  
         広田神社              広田神社の絵馬

 

初詣は年が明けてから初めての神社やお寺へお詣りすることで旧年の感謝と新たな年の願掛けを神様に行うための行事です。


  
   西天神神社                     昆陽寺 仁王門 

 

年神さまは、各家庭の正月飾りに宿る神様で、先祖の霊を祀るとされ、氏神様は同じ地域に住む人々によって共同で祀られる神様です。

本来の初詣は、その氏神様つまりその地域の神社等にお参りするのですが、現在は、それだけではなく、有名な神社やお寺に参拝するのが定着しています。


  

                      門 戸 厄 神                 

地方によって異なりますが、”除夜詣”とか”元日詣”があります。
鉄道やバスなどの交通機関が発達してくると、毎年、正月も近づくと、沿線の神社仏閣を恵方であると宣伝し、恵方詣の本来の意味が埋没してしまい、人々は自由に寺社を参拝するようになったようです。

 


新年 明けましておめでとうございます。

2020年01月01日 15時55分21秒 | 独り言・社会・ニュース


 新年 あけまして おめでとうございます。

    本年も 宜しく お願い申し上げます

          

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                                     令 和 2 年  元 旦       


武庫川コスモス園 今が見ごろ

2019年11月04日 16時48分37秒 | 独り言・社会・ニュース

いよいよ秋本番となり、朝晩は肌寒く、昼間は凌ぎよい季節になりました。

毎年、この頃になると、武庫川の河川敷は、コスモスが満開になり、多くの見学客が訪れます。

 

ここは、以前も紹介しましたが、昔、「髭の渡し」と呼ばれ、武庫川を渡る要所として利用されたところですが、阪神・淡路大震災以降、不法投棄や生い茂る雑草で荒れ果てていた河川敷でした。

ここをきれいにしたいという地元の人が、「髭の渡し花咲き会」を結成し、整地、除草、種まき等努力を重ねてきました。

平成15年(2003年)から始まり、今年で16年経ち、550万本のコスモスも多くの人の援助もあり、近隣からも多くの人が訪れています。

  

  
 
  

  


7月の自然との付き合いは・・・その2 

2019年07月27日 13時49分25秒 | 独り言・社会・ニュース

7月に災害が多いのは、梅雨時期と台風の来襲などそれぞれの災害だけではなく、それが重なることも災害を大きくしている場合もあるようです。

昨年の西日本豪雨や台風も多く上陸し、その中でも逆走台風と今までにない台風の進路もあり、気温も毎年最高気温が更新されてゆくようで、毎年のように災害が多様化し、予想を上回ることが多くなってきました。
気候の変動だけではなく、地震や火山の噴火につながる異常性をも頻繁に起こっています。

  
  2018年の漢字 ”災”            日本の月別降水量と山地災害(土砂災害など)

 

昔から言われている二十四節気の時期を表す送り梅雨とか三伏の候とかも崩れてくるのでしょうか。

でも、この季節感を表す言葉に日本人は生活感をあててきました。

その中でもこの時期「土用の丑の日」ほど生活に根をおろした習慣はありません。
なぜ、なのでしょうか・・・・

「土用」はなにも夏にだけあるものではありません。
「土用」は、立夏・立秋・立冬・立春 直前の18日間の期間を示す言葉です。

            

「土用の丑の日」とは土用の期間に訪れる丑の日のことで、昔の暦では日にちを十二支(子、丑、寅・・・)で数えており、そのため、毎年、「土用の丑の日」は変わります。

今年は7月27日ですが、昨年は夏の土用の丑の日は、2回ありました。

1年に4回ある「土用の丑の日」ですが、どうしても夏のイメージが強く、この時期、いずれも季節の変わり目で、体調維持が大事な時期で、夏にはスタミナが大事な時期です。

ウナギがこの時期に食するいわれは、夏負け防止として、江戸時代の平賀源内の話は有名です。
また、ウナギ以外にも「う」の付く食べ物が良いとされていますが、さて、その本意はどこにあるのでしょうか・・・うどん・梅干し・牛(牛肉)など。


  
   2018年 40℃以上を記録した地点        最高気温ランキング 2018年が上位に 


世の中、7月だけではなく、今までにない天災は世界中に起こっています。
温暖化が原因ともいわれていますが、ますます、多様化、高度化しており、世界中の人は真剣に考えることが必要ではないでしょうか・・・

  

 
上位は南太平洋の島々が・・温暖化による海水の上昇が原因。 日本は17位で地震・火山や台風・・

 


7月の自然との付き合いは・・・

2019年07月03日 16時54分56秒 | 独り言・社会・ニュース

西日本は空梅雨かと思ったのですが、遅い梅雨入りに入った途端に大雨になりました。

特に九州方面には、梅雨前線が停滞し、大雨も長期化しそうです。

      

 半夏生(はんげしょう) 7月2日

 天地に毒気があふれる日だそうです。

 暦では雑節の一つです。
 本来 二十四節気や七十二候は、日本でいくらか変わった部分がありますが、基本
 的には中国で生まれたものです。 
 これに対して雑節とは日本の生活上、必要とされた日本製のものです。
 雑節には八十八夜や彼岸といったなじみ深いものがあります。
 この雑節は暦の上で梅雨の後期に入る一つの目安と考えられ田植えの終了を示す日
 とされています。

        
    カラスビシャク(半夏)サトイモ科   

 これ以降の日に田植えをするようでは例年の半分の収穫もおぼつかないという意味
 で半夏生という名がついたのではと考えられていますが、本来の意味は、元々植物
 の名前で、半夏は, カラスビシャクというサトイモ科の植物で有毒植物ながら生薬 としても用いられ、薬にも毒にもなり、この時期が、今年の収穫できるかどうかの境目で、この植物のようと思われたのでしょう。

 このことから、天地に毒気があふれる日とされ、山のものを食べるとことや山林・
 竹林に入ることを忌むとされました。


送梅雨(そうばいう)(おくりつゆ)
 梅雨の上がるころに降る雨。
 送梅雨の向こうには夏の空が待っている・・・・

 西日本では、梅雨に入ったところですが、この長雨が送梅雨なのでしょうか。

   
    城北公園内のアジサイ  

三伏の候(さんぷくのこう)

 二十四節気の小暑(7/7)、大暑(7/23)を含む期間のこと。
 一年で最も暑い期間(7月7日~8月7日)を表す言葉です。

他に、中元とか土用とかの意味は、現在でも良く使われますが、本来の意味はどうなのでしょうか?  今後の機会にふれたいとおもいます。
 


” 端午の節句 ”

2019年05月03日 13時50分16秒 | 独り言・社会・ニュース

5月5日・・・こどもの日ですが、端午の節句とも言われ、”端午の節句”とはどのような意味があるのでしょうか・・

”端午の節句”は「菖蒲の節句」ともいわれています。
強い香気で厄を祓う菖蒲やよもぎを軒に吊るし又は、菖蒲湯に入ることで無病息災を願いました

 もともと”端午の節句”は、中国の戦国時代(2300年前)が発祥とされていますが、日本でも奈良時代から続く古い行事です。

        

 

5月5日の端午の節句に鯉の吹き流しを立て、武者人形を飾って男の子前途を祝うようになったのは江戸時代からだそうです。

室町時代にも武家では5月5日の端午の節句に吹き流しを立てましたが、江戸時代に入って町人階級も紙で庭先に立て、男の子供が元気に育つようにと親の願いがこいのぼりに込められていました。
 
         

    現在の五月人形は、日本独特の物のようです。     ちまき  
 

 

では、発祥の中国は、どうなっているのでしょうか・・・

日本では、新暦の5月5日に子供の日として国民の祝日になっています。

中国は、今でも三大民族祭日(春節、端午節、中秋節)として旧暦で祝日となっています。
ということは、毎年端午の節句は、異なり、2018年は6月18日だったものだが、2019年は、6月7日です。

ちまきを食べるのは同じですが、ボートレースをすることが異なります。
それは、もともと中国の詩人屈原(くつげん)が仲間の陰謀から川で自殺をしますが、その時魚に食べられないように舟を出し、粽(ちまき)を投げつけて魚を追い払ったことが起源と言われています。

          

     このボートレースは、中国の端午の節句が起源。  鍾馗さんは魔よけの神様です

2300年を経て、日本は日本の歴史、風習に従って変化してゆきましたが、中国はその昔の面影を踏襲しているのです。


阪急観光特急と蹴上の桜 -その2- 蹴上界隈の桜

2019年04月08日 12時45分13秒 | 独り言・社会・ニュース

先日、阪急観光特急の続きです。

阪急観光特急は西宮北口駅から嵐山駅行きですが、桂駅で降り、京都方面へ乗り換えました。
目的の蹴上には、京都地下鉄東西線で蹴上駅で降り、蹴上のインクラインに行ってきました。

この蹴上インクラインは、琵琶湖疎水の大津から宇治川に至る20.2Kmの舟運ルートの途中にある傾斜鉄道で南禅寺の近くの全長582mの世界最高の鉄道跡は琵琶湖疎水の急斜面で船を運航するために敷設されたものです。

  線路上を散策

  

 

線路沿いにソメイヨシノやヤマザクラが植えられ線路内を歩いて鑑賞することができます。
それにしても、ここは外国と思うばかりにあちらの言葉が飛び交い、日本人を探す方が難しいようです。

   
            結婚記念写真撮影? そういえば左道路を挟んで都ホテルが・・                         

帰宅してニュースを見て分かったのですが、この辺りに野生のさるが出没し観光客にケガをさせたとか、その猿かどうかは分かりませんが、蹴上のインクラインの公園で昼食を摂ってるときに見受けました。

 
     向こう岸が京都動物園  

 
 
蹴上インクラインを離れて三条神宮通りを下って青連院門跡、知恩院、そして円山公園に出て
 しだれ桜をみて、四条通りから阪急河原町駅から帰りました。
 もちろん、休憩しながら、キョロキョロしながらのダラダラ歩きですから時間はかかりました
 が、久しぶりに京都の桜を満喫してきました。

  

    青連院門跡               知恩院 

 
        円山公園 しだれ桜       

 


尼崎戎と尼崎城

2019年01月11日 20時45分45秒 | 独り言・社会・ニュース

昨日(1/10)に尼崎戎と尼崎城を見てきました。

例年、1月9日から11日の間に、どこかの”戎っさん”にお詣りしていました。
今年は、尼崎城が3月29日に一般公開されるとのことですので、その前にほゞ出来上がっている尼崎城の見学をかねて尼崎戎をお詣りしてきました。

尼崎戎については、2011年1月12日の当ブログの”尼崎戎&西宮戎をはしご”の記事に詳細が書いてありますので、そこを参照してください。
      https://blog.goo.ne.jp/ganbaro433/e/b46965cccd5c91110d70eac8536cfaa2?utm_source=admin_page&utm_medium=realtime&utm_campaign=realtime

 

  
  先日お詣りした湊川神社でも行儀よく並んでお詣りしていましたが、尼崎戎でもやはり並んで
  お詣りしています。 いつからなのでしょうか・・・どこもそうなのでしょうか・・・

 

  
   今年も尼崎戎にはマグロが奉納されました。
         ちなみに西宮戎の今年のマグロは250cm 250Kgだそうです。
               2011年と比べてください・・・・・

 

 
   庄下川を隔てて撮影した再建中の尼崎城  3月29日 一般公開されます。

 尼崎城は、以前、明城小学校 後の城内中学校や市立尼崎高等学校(現在は市立文化財収蔵庫)があった場所あたりにあったようですが、今回建てられた天守閣の位置は当時と若干違うようです。

  
   尼崎城の模型              かっての天守と再建の天守の位置関係図


ともかく、天守閣の建物自体は、史実に従っての4層4階の大天守に西側に2階建ての多聞櫓の小天守が付属する複合式天守と呼ばれる形式で、現在尼崎市立文化財収蔵庫本館(旧尼崎市立高等学校)の北東隅付近に建っていました。

       
     
廃城前の写真        歴代藩主を祀ってある桜井神社に残る遺構の瓦

 

大坂夏の陣後、大阪を西国支配を拠点とするために直轄地とした江戸幕府は元和3年(1617年)譜代大名の戸田氏鉄に大阪の西の守りととするため尼崎城の築城を命じました。

 甲子園球場の3.5倍の敷地に3重の堀、4層の天守を備えるなど5万石の大名の居城としては大きすぎるということから幕府がいかに尼崎を重要視していたことが伺われます。

  江戸時代の想像図

 

尼崎城は、戸田氏、青山氏、松平氏と代々譜代大名が務めましたが、明治になると廃城が決まり、1部売却されたり、取り壊され、堀も次第に埋められましたので、今では全くその面影は見ることが出来なくなりました。

それが、この地で商売をした某氏の多額の寄付を契機に尼崎城の復興が実現しました。


晩秋とは・・・、時期は・・・・

2018年11月25日 12時19分39秒 | 独り言・社会・ニュース

11月も残り少なくなり、今年もあと1ヶ月と少しとなりました。
この頃は、晩秋なのか初冬なのか入り混じった季節感がしますが、これも或る一定の基準があるようです。
時節のあいさつで「晩秋の候」を使いたいところですが、時期は合っているのでしょうか・・・

実は、”晩秋”  と呼ばれる時期と「晩秋の候」という時期とはずれているのです。

晩秋は、日常会話では、11月から12月初めについて使われているようで、12月に入ると初冬という言葉を使う人が多くなります。
報道でも一般的にそのように使われているようです。
しかし、気象庁では、9月~11月が秋で12月から冬になります。
従って、11月を晩秋と考えられます。

            

 

しかし、時候の挨拶は二十四節気や季語に従って使いますので寒露のころから立冬の前日までで10月8日から11月6日ごろとなり、実際の季節感と大きく外れています。
季語で言えば、晩秋の候は、10月~11月上旬となるそうです。

手紙や文書のあいさつ文では「晩秋の候」は10月~11月上旬といっても最近はあまり使わなくなったようです。
つまり、一般の感覚よりずれており、気温も10月中はまだ夏日さえあり、どうしても使うのなら他の言葉の方がよさそうです。

 

10月~11月上旬なら「秋涼の候」または木枯らしが吹き始めたら「秋冷の候」も良いのではないでしょうか。
11月中旬~11月終わりなら、「向寒の候」とか「霜秋の候」
12月に入れば「初冬の候」「霜寒の候」・・・

とはいっても、最近は手紙を書く事は少なくなり、メールでこのような挨拶は場違いな感で、せっかちな現代人には、無用なのかも知れません。

でも、絶えず季節感は忘れることがないようにしたいものです。
日本語は、季節感にあふれる表現が多いようです。