前回に述べましたように、江戸の町は、人工的に井戸を作り、下水路を設け、江戸の町の約60%は、これらの恩恵に与ったようですが、それ以外の人々はどうしていたのでしょうか?
藤沢周平の小説「蝉しぐれ」の冒頭の一節に、朝、寝起きに下級武士が長屋の裏口のすぐ前を流れる小川の水を飲み、顔を洗うシーンがあります。
(映画にもなったので、ご存じの方も多いことでしょう。僕も見ましたので、内容については、当ブログ2005年10月9日付けで)
映画「蝉しぐれ」の一場面
そのような小川は、本流から幾本も街に引き、その引き込み水は、江戸時代に農村・都会を問わず、各地にあったようです。
洗濯などはそこから柵をきって溜め水にして行い、汚れた水は木や野菜を植えた畑に与えていました。
地上を流れる水道といってもいいのではないのでしょうか?
このような事が出来るのは、日本の河川が清浄だったから出来たことです。
つまり、日本列島の急峻な山岳から流れる川は、たいがい急流で、平野部でもかなりの速度で流れています。
川の水が美味しくて清潔な理由はここにあります。
この地形は日本独特で、世界的には、少ないのです。
多くの外国の河は、たいがい上流と下流の高低差が少なく、流れが遅く、淀んでいるようなのが多いのです。
日本にも例外があり、琵琶湖から流れる瀬田川は、淀川に流れるとほとんど動かず、日本でも希な例です。
話は違うのですが、現在、日本で普及している水洗トイレには、多くの機能をもっていますが、これが案外、諸外国には、不評なのです。
日本で旅行しても、ほとんどのホテルや旅館のトイレは綺麗で、ウォシュレットが完備されています。 ホテルだけではなく、最近は、観光地でも綺麗になってきています。
が、海外旅行でのホテルのトイレは、ただ水洗設備のみが付いているだけもので、それ以上なものはなく、単純な造りでした。
観光地でも、有料トイレが多くありましたが、特別綺麗とも、余計なものもなく、用がたせばよいと実に簡単なものが多かったようです。
清潔というものに対する感覚の違いと思われます。
しかし、最近の日本の川は、汚し続けてきました。
糞尿は有機物、適切な処置さえすれば、自然に与えるダメージは割合少ないものなのです。
一番、川を汚すのは、残り油、合成洗剤、工場汚染物で、そのまま汚水と流してしまう方が、自然にも人類にも決定的な悪影響を与えるのです。
清潔という性格だけが残って、源である河川を汚して、水を大切にしない現在の日本人は、江戸人からすれば、異郷の人間のように思っていることでしょう。