一口に松山城といっても、全国に沢山の松山城があります。
一般的に松山城と言えば、四国の伊予国、愛媛県にある松山城のことでしょうが、他には備中国松山城とか武蔵国の松山城など計10城あります。
ここでの松山城は伊予国の松山城の話をします。
別名は、金亀城とか勝山城と言われています。
金亀城とは、その名の通り、堀に金の亀がいたとか言われており、良くある縁起物で価値観を上げる名前です。
また、勝山城という名前は、これもお城の別名によくある、城のある場所、山の名前なのです。
勝山と呼ばれる丘陵の山頂に天守が築かれています。
松山城は、現存する12の天守のある城の一つで、姫路城と同じく、大天守と小天守、南隅櫓、北隅櫓を渡り廊下で結んだ連立式で、日本三大連立式平山城です。もう一つの連立式平山城は、和歌山城です。
この城の始まりは、1602年、伊予国10万石の大名であった加藤嘉明が、関ヶ原の戦いでの軍功により20万石に加増され、この平山城の築城に着手しました。
この時、正木城と呼ばれていましたが、加藤嘉明が、この地を「松山」と名付けたそうです。
その後、城主は、蒲生家や松平家などに代わり、幕末は、松平定昭が老中職となり、親藩として、明治維新を迎えます。
明治維新後は、土佐藩が松山城を受領、保護します。
明治3年には、松山城三の丸、そのご2年後には、二の丸も焼失します。
天守など35棟の建造物が国宝に指定され、他21棟が重要文化財に指定されています。
伊予松山と言えば、俳句「春や昔 十五万石の 城下かな」で正岡子規も知られています。
2010年10月に訪れました。 天守から松山市街地を望みます。
お城に登城するには、徒歩でも登れますが、僕はロープウエイで登りました。