この映画で、リーダーとは、なにが必要なんか・・・色々考えさせられました。
主人公の忍城の城代の成田長親(野村満斎)とそこを攻める石田三成(上地雄輔)との人物の違いが勝敗を分けたようです。
この話の大筋は、ほぼ史実に基づいて描かれているそうです。
まず、この物語の起こった時代背景から物語は始まります。
天正18年(1590年)豊臣秀吉(市村正親)の小田原討伐の時、忍城主成田氏長(西村雅彦)は、北條氏に加勢したため、石田三成の大軍に攻められ、その挙句、水攻めにあいます。
なぜ三成は、水攻めにしたのかが、この物語の大事なところであり、三成の人物像が浮き出てきているのです。
城主の氏長は、到底勝てる戦ではないので、留守居の城代長親やその幹部に、石田三成がくれば開城するように言い、氏長は小田原に向かいます。
成田長親といえば、智も勇もないが、あるのは領民から慕われているということだけです。
一緒に畑仕事をしたり田楽を踊ったりし、それを領民は、”でくのぼう”を略して”のぼう”様と呼ばれて慕われていました。
その"のぼう様"のまわりには、剛腕・豪傑の「和泉」(山口智充)、漆黒の魔人「丹波」(佐藤浩市)、自称、軍略の天才「靱負」(成宮寛貴)、それに領主の娘男勝りの「甲斐姫」(榮倉奈々)などがこの物語を進めて行きます。
一方、石田三成は、秀吉子飼いの武将ながら、今まで軍功もなく、何時も後方支援での活躍であった為、他の武将から疎んじられていました。
そこで、2万の軍勢を与え、500人で守っている忍城を攻めさせ、軍功を立てさせようと秀吉が画策します。
と言っても、既に忍城の城主の氏長は、寝返っており、勝敗は闘う前からついていたのですが・・・・
そのことは、三成のみが知らされておらず、まともに忍城を力ずくで攻め立てます。
三成の使者が、忍城の留守居城代に降伏を進めに行きますが、高飛車の使者に憤慨する”のぼう様”は、戦を決意します。
城内の人や村人は既に、闘わずして城を明け渡すことを知っていましたが、あの”のぼう様”が言うのなら一つ戦ってやろうと結束します。
秀吉に三成を支えるように命を受けた大谷吉継(山田孝之)は、忍城の士気の高さに警戒心を抱きますが、なかなか落ちない城に業を煮やした三成は、地形から、かの秀吉が備中高松の水攻めを思いだし、ここも水攻めにすることを決意します。
このままでは、本丸が沈んでしまうと危機感を持った長親は、ただ一人で武器も持たずに小舟を漕ぎだし、三成軍の前で踊りだします。
船の上で、田楽踊りが出来るのは、この野村萬斎しか出来ないのではないでしょうか?
あのとぼけた、ひょうきんな演技も、ピッタリとした役回りでした。
その騒ぎの中、百姓たちは、堤を潰しにかかり、決壊させます。
2万の大軍が、500の軍勢と3000余りの百姓たちに完敗します。
2万の大軍を後ろ盾にして、独断専行し、他の武将から疎んじられた三成。
百姓からも”のぼう様”といわれ、強くないが、”人気”だけはある男が立ち上がると、不思議と軽んじていた武将も、あのバカを皆が好いているのだ・・・と言わしめた長親。
三成と長親。
どちらの武将も、今まで武功は立てておらず、これと言って戦の経験も知識もなかったようです。
2人の違いは、周りの人に慕われているかどうかだけです。
実は、忍城のある埼玉県行田市には、何年か前に訪れています。
その時、忍城にも行ったのですが、どうも思いだせません。
忍城のその後の様子などは、また後日に調べて見たいと思います。