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映画 「 海難 1890 」

2015年12月13日 08時13分46秒 | 映画・社会

大まかな事は、ぼんやりと頭にあるのですが、具体的にどうなのかは分かりませんでした。
ほぼ真実に近いストーリーだそうですが、映画ですからそれなりに脚色していると思います。

人が人を思う気持ちの大切さを描いています。  それも95年以上もお互いが思いやる気持ちを持っていたということは、なんと素晴らしいことではないでしょうか?
人の素直さ、真心があれば、世界中で頻繁に起こっている争いなどが起こるはずがないと思うのですが・・・・

1890年 - 和歌山県沖で台風で沈没したトルコ軍艦の乗組員たち500人以上の内69名を救出した事。
1985年 - イ・イ戦争でテヘランに取り残された日本人を救出した事。

 

   

この事件に関して、常々疑問に思っていたことがありました。

トルコ軍艦が日本に来た理由は何か、とその帰路に軍艦が和歌山沖で台風に会い、その夜の台風の中、どうして島民が分かったのか、その時、この島に医者がいたのか。
また、テヘランの救出劇には、なぜ日本人を優先させることによって、残されたトルコ人との間にトラブルはなかったのかということでした。

この映画を見て、この疑問点が解けました。
ただし、映画では、台風の中、軍艦のボイラーの爆発音によって村人が遭難を知ったことになっていますが、もう一説には、投げだされた船員の幾人かが灯台に流れ着き、灯台守に助けを求めたという話もあります。
その他の解答は、この映画を見てください。

  
   医師 田村(内野聖陽)とハル(忽那汐理)   日本人が飛行機に乗るために、多くのトルコ人が        
   始め村民総出で救出にあたりました。      拍手をもって道を開けます。         

 

この映画が、史実であること、95年もの長きにわたり、トルコの人々が恩義を忘れなかったことに感銘を受けました。
それも和歌山の人が貧しい中、献身的に看病し、無事にトルコに送り返すことが出来たのもこの当時の日本人気質と国家を上げての後押しがあったからです。


映画にはありませんが、後日談として、この治療費を払おうとしたトルコに対して、見舞いとして治療費などはいらないとした日本側の対応にもトルコの人々が長く記憶にしていた原因の一つだったようです。
もう一つ、和歌山県串本町とトルコのヤカケント市、メルスイン市とは姉妹都市を提携しており、日本トルコ大使館と町の共催により、慰霊祭が5年毎に行われています。