感染症に対するワクチンの緊急開発は安全保障と外交の意義を持つという認識が足りなかったと言われています。
緊急の感染症に対する基礎研究は20年前からすでに大きな差がついていたとも言われています。
日本では、感染症は、有事(戦時)という認識がなく、戦時の備えが十分ではなかったということです。
単なる公衆衛生上の緊急事態程度に見ていたのです。
では、その責任はどこにあるのでしょうか・・・・
理由はいろいろありますが、原因の一つには、過去20年間のパンデミック(世界的流行)に日本は、切羽詰まった感染状況がなく、その体制つくりがおろそかになっていたのです。
2002,3年のSARS(重症急性呼吸器症候群)や2012年のMARS(中東呼吸器症候群)
の時にも厚生省に対して今後の対応策を国として作るように声が上がっていたのですが、結局事態を変えることはありませんでした。
それも、もっと深い原因がそれ以前にあったのです。
つまり、1992年の東京高裁判決が大きな影響があるのです。
それまで、ワクチン接種大国だったが、この裁判で予防接種の副反応訴訟で国に賠償を命ずる判決を出したからだと言われています。
この判決は「画期的な判決」と世論が広まり、政府は上告できず、1994年に予防接種法が改正され、日本での接種率は急速に低下し、国民の間ではワクチン逃避が高まりました。
学校での集団接種もなくなり、自治体から集団接種のノウハウがなくなりました。
これらのことから、メーカー側もワクチンに対する取り組みがなくなりました。
この事態になったのも、日本国民全部の責任ともいえるのかも知れません。
ワクチン開発には、基礎研究や臨床試験など探索、有効性、安全性、など品質を担保しつつ大量生産の可否の確認する必要があり、開発には一般的に年単位に期間がかかります。
今は、日本でも、数多くの企業や研究所がワクチンの開発に取り組んでいます。
しかし、問題は山積しています。
他国に比べ極端に少ない資金面もそうですが、日本での臨床試験に課題があり、欧米などに比べると感染者数が少なく、臨床試験に参加した人が感染する可能性が各国に比べると低くワクチン効果を確認するのが難しいと言われています。
この事態を解消して、国の資金面の支援で、いっときも早い実用化を願いたいものです。
これからのパンデミックに備えるためにも、普通の生活に戻るためにも・・・
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